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2006年7月31日 (月)

山でのトラブルいろいろ

りお太郎が登った山をいくつか紹介してきたが、今までは登頂に成功した例ばかりを話してきた。でも、実際は頂上までたどり着けず、途中敗退したことは数え切れないくらいあるし、単に登れなかっただけでなく、ヒドイ目に会ったり、ちょっと危ない状況になったことだってある。今回はそんなカッコ悪い経験をいくつか紹介しようと思う。もう10年以上、いろんな場所で登山をしてきたので、けっこういろんなことがあった。たとえばりお太郎にどんなことがあったかと言うと・・・ 

●高山病(何回も経験しているが、最もひどいところまで症状が悪化してしまったのはアラスカ・マッキンリーで肺水腫になった時) ●エクアドルにいた時は、近くの火山が噴火し、大量の灰が降ってきた。(妙義山の登山口でテント泊していた時も、浅間山が噴火して灰に降られた。) ●ボリビアでは、バスで山への移動中、ザックを盗まれる。 ●カナディアンロッキー、アメリカのシエラ・ネバダ山脈、グレートスモーキー山脈での計3回、登山中に熊と遭遇する。 ●新潟県の日本平山では、登山中激しい雨になり、下山のとき増水した沢を渡渉した後、20匹くらいのヒルが体中にはりついていて、Lion全身血を吸われまくった。 ●大学の仲間とコロラドの山奥でキャンプしていた夜、りお太郎のスパゲッティソースを入れていたボトルが気づかないうちにマウンテンライオン(画像)にかじられていて、くっきり歯型をつけられた。そのボトル(ナルゲンボトル)は大学で参考資料として大切に保管されている。

あとひとつ忘れられないのは、コロラドでの登山中の出来事なのだが、登山口から10キロ程入った完全に人っ子一人いない幕営地で、“コヨーテ”の群れが現れ、りお太郎のテントが囲まれたのである。ちなみに、コヨーテは犬と狼のあいの子みたいな肉食の動物で、アメリカ全土に生息している。めずらしい動物ではないし、1匹だけ山の中で見かけるのだったら、ちっとも違和感はない。しかし、その夜現れたコヨーテの群れは10匹以上いたし、たぶん相当腹をすかしていたのか、かなり荒れた連中だった。単独登山だったことを、この時ほど恨めしく思ったことはない。

以下その時の状況:

夜になってこれから寝ようという時に、不気味な足跡と気配に気づいた。入り口を少し開けて、テントから外をのぞき見ると、ヘッドランプの光に反射したコヨーテたちの目がギラギラとこちらを伺っていたのである。その瞬間感じた恐怖と、孤独感、そしてこれから始まるであろう戦いの厳しさに背筋が冷たくなった。最初に仕掛けたのはもPhoto_13ちろんコヨーテたちだった、徐々にテントに近づきながら、りお太郎の退路を絶ち、木からロープでぶらさげた食料袋に飛びついて引き裂き、中のものを食い荒らした。さらに、調子に乗った彼らはテントに迫る勢いだった。りお太郎はピッケルを握り締めながら、日本語で悪態をつきまくり、抵抗する意志を強くアピールした。結局互いの牽制は一晩中つづき、あたりが薄明るくなってきた頃、やっとコヨーテたちはりお太郎を開放してくれたのだった。もう登山どころでなく、そのあと一目散に下山したことは言うまでもない。

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2006年7月27日 (木)

日本からとお~い“パタゴニア”

パタゴニアと言うと、アウトドアウエアのメーカー(あの高級ブランド)のことだと思う人が多いだろうけど、本当の“パタゴニア”は南米のチリとアルゼンチンに含まれているアンデス山脈の一部、いわゆる南米大陸の南端のエリアのことである。

Photo_8FitzroyPhoto_9 りお太郎は赤道上にあるエクアドルから始め、南下しながら南米を6ヶ月間放浪し、一番最後に訪れたのがパタゴニアだった。日本から見ると地球の裏側にあたり、南半球にあるため季節も逆だし、氷河に覆われていて、山々も日本の山とはまるっきり違う、ありえないくらいスゴイ山ばかりなのである。パタゴニアを代表する山はグレーシャー国立公園にあるフィッツ・ロイセロ・トーレ、そしてパイネ山塊だと思う。それらの山々には、まるで魔物が住んでいるような雰囲気があり、垂直の壁が立ち並び、ハンパない迫力がある。登攀は極めて困難、というより世界のトップ・クライマーしか太刀打ちできないレベルなのである。

2クライミングの経験はなく、ひとり旅と単独登山専門のりお太郎には、パタゴニアで登れるような山はないだろうと考え、トレッキング的な活動ばかりやることにしたのだった。フィッツロイやパイネ周辺は頂上に立たなくとも素晴らしい自然がいっぱいある場所なので、何日間もかけてまわり、それだけでも十分パタゴニアは満喫できた。しかし、やっぱりどこか山の頂上に立ちたいという欲望を抑えることはできなかった。

パタゴニアの北はレイク・ディストリクト(湖地方)と呼ばれていて、その中心にバリローチェと言うとても居心地の良い町がある。りお太郎が南米で気に入った場所のひとつで、観光客や旅人も多く、情報収集するにも最適な町だった。そして、ここでひとりでも登れる山をじっくりさがした結果、“Volcan Lanin”という山に目標を絞った。このラニン山(volcan=火山)に引かれたのは、その山の標高が3,776mというところだ。山が好きな人には馴染みがある数字のはずで、われらの日本の象徴、富士山の標高3,776m “富士山のように、3・7・7・6 皆(みな)、なろう!” と一緒なのである。同じように円錐状で形が整っているところも共通している。

Photo_126ヶ月間の長旅で疲れきってしまっていたりお太郎は、パタゴニアにたどり着くまでに邪魔になってきていたピッケルやアイゼンを日本に送ってしまっていた。ラニン山を登るためにアイゼンだけはレンタルして、現地の登山家たちから、この山についていろいろ教えたもらった。(それまでにスペイン語がけっこう分かるようになっていた。いちおう分かっているつもり?)実際に標高が6,000mを超えるアンデスの山々よりはずっと緊張感はなかったが、上部の雪は相当硬かったのでアイゼンは重宝した。途中10人くらいが泊まれる小屋もあり、1泊2日の行程で登ることができた。

Photo_10パタゴニアは天候が不安定な場所としても有名だし、風がとにかく強いとも言われていて、つねに登山者たちを困らせている。ラニン山も風はすごく強かった。一人旅は寂しいもので、単独行だから山の上でも寂しいことばかりだ。手前で頂上をあきらめようとくじけそうになったが、広大な南米大陸にひとりポツンと立っているラニン山の頂上からの景色をどうしても見たかったので、なんとか力を振り絞った。地球の反対側で見つけた富士山の兄弟のような山、その頂上からの眺めは感動的だった。

パタゴニアは日本から遠い。だから気軽には行けないけれど、絶対に一度は訪れておくべきところである。そして、できるだけ長く滞在したい。パタゴニアの魅力は別に山に登らなくても存分に味わえると思う。それは一言では語りつくせぬほど、いろんな魅力があるからで、南米の中では比較的安全なエリアだということも旅人にとって大事なポイントになる。りお太郎は、旅の最終目的地の最南端の町、“ウシュアイア”で6ヶ月にわたる放浪を終えた。南米大陸はここで終わりで、ここより南にはもう南極大陸しかない。この港町で旅を終えたことを実感し、マゼラン海峡を見ながら泣いたことは一生忘れられない思い出である。

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2006年7月24日 (月)

コロラド州・エルク山脈

アメリカ人には頑固なところがある。今だにアメリカでは標高や重量を単位をフィートやポンドというとめちゃめちゃ分かりにくいもので表しているが、それこそがアメリカ人らしさの象徴のように思える。愛国心が強く、アメリカが何でもNo.1なんだと言い張る人が多いので、ほぼ世界中が“メトリック・システム(cm,m,km,mg,g,kg等)”を使い、その方がよっぽど使い勝手が良いのが分かっているのに、それを素直には認めなたくはないのである。でも、りお太郎の正直者の友達は小声で、アメリカもメートルとか使えば良いのにと耳打ちしてきたことがあるが・・・

当然、りお太郎はアメリカの山々の標高はフィートで憶えている。アメリカでは地形図もガイドブックも、高度計付腕時計なんかもフィートで表されているからだ。ちなみにコロラド最高峰のエルバート山が14,440フィート(4,401m)だが、ほかにコロラドには14,000フィート以上の山が54座あり、それらは14ers(フォーティンナーズ)と呼ばれている。ある種、日本百名山みたいなもので、54全部登ることを目標にしている人も多く、わずか数フィート足らない13,000フィート台の山になると、登山者は随分少なくなっている。

さて、りお太郎は40座以上の14ersに登ったので、魅力的な山をたくさん知っているが、その中でも印象深い“エルク山脈”について紹介したい。よくカレンダーなんかの写真になっているエルク山脈はコロラドでは有名でも、日本人の登山者が来ることは稀だと思う。コロラドの他のエリアに比べて、登るのが楽ではない険しい山が密集していて、特に、マルーン・ベルスキャピトル・ピークはコロラドを代表する困難かつ美しい山だと言える。

Photo_3 Photo_4マルーン・ベルスは通称“デッドリー(死の)・ベルス”と言われるだけあって危険な山だ。それはこの山がとても脆い岩で形成されている為、登山者はつねに落石の危険にさらされるからである。マルーン・ベルスはノース・マルーンピークとサウス・マルーンピークのふたつの峰を合わせた総称で、このピーク間の稜線のトラバースがルート上の核心部だ。りお太郎が登った時は、たしか他に1組か2組しか登山者がいなかったので、落ちてくる岩にそれほど心配することもなかった。しかし、岩の稜線上は迷いやすく、ケルン(目印に岩を積み上げたもの)を見落とさないように慎重に登った。稜線上は高度感があるけれど、どこでも登れちゃうので、ついルートをはずして進みたくなり、気がつくと脆くて危険で後戻りできないような場所に行ってしまう登山者がいるのだと思う。多分事故はそのようにして起きてしまうのではないだろうか。

Photo_7Photo_5そしてキャピトル・ピークだが、巨大な北壁と“ナイフ・リッジ”と呼ばれる細い尾根が特徴的な山で、どのルートであろうが簡単には登頂できない。しかもキャピトルピークは自動車が入れる場所からは見えない山で、この山を登らなくとも、ただ見るだけでも山の中に入っていかなくてはならない。道路からは絶対に見えないところに孤高に立っているというところが、とにかくカッコ良いのだ。

Photo_6りお太郎はキャピトルを他の山の頂上から初めて見たが、そのあまりにも急峻な姿に驚き、恐れをなし、登りに行くことを躊躇したのだった。しかし、いくつか困難な山で修行したのち、りお太郎は単独でキャピタル・ピークに挑んだ。期待を裏切ら ない素晴らしい山だったのに加え、ナイフリッジを越えるルートは怖かったけれど、逆に楽しくて、頂上までずっと内容が濃い最高の登山ができ、登頂の喜びも大きかった。しかもりお太郎が登った日は、風もなく、雲ひとつ無い青空の、まさにパーフェクトな天候だったにもかかわらず、登山者は りお太郎ひとりだけだった。キャピタル・ピークを独り占めにできたことは、この上ないほど贅沢なことだった。

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2006年7月21日 (金)

八ヶ岳の青年小屋へ

雨が降りしきる中、登山を専攻する2、3年生と一緒に八ヶ岳に行ってきました。

学生たちは夏休みの間、“ガイド業務実践”という授業で登山ツアーを取り扱う旅行会社でアシスタントの仕事をします。今回はその事前学習として、国際ガイドの資格を持ち、ヒマラヤなどでの登山の経験が豊富な竹内敬一さんに指導をいただきました。

Pict0002_1 竹内さんは八ヶ岳の山小屋をいくつか経営されています。わたしたちはそのひとつの青年小屋に2泊お世話になりました。青年小屋は八ヶ岳南部の編笠山と権現岳の間の稜線上にあり、登山口の観音平からは登り3時間で行くことができます。小屋まですべて人力(ボッカ)で食料からなにからすべて運んでいるそうです。

りお太郎は山小屋にはほとんど泊まったことがなく、いつも登山はテント泊なのですが、青年小屋はとっても快適で、食事は豪勢だし、山小屋のスタッフの方たちが親切なのでとても驚きました。青年小屋のような山小屋なら、登山に行くたびに泊まりたくなると思います。

さて、竹内さんから小屋の中でロープワークをはじめ、山でのレスキューテクニックを学び、さらに雨が降るなか権現岳まで登って、実際に学生たちは習った技術を実践してみました。天候はかなり厳しかったので、快適な小屋に戻るとまるで天国のように感じました。夜は竹内さんがヒマラヤ遠征のビデオを見せてくれたので、標高2,000mを越える山の上にいることを忘れてしまうくらいで、しかも学生たちは夜更けまで怖い話なんかで盛り上がっていました。雨が降る中テント泊していたら絶対こんなことにはなりません!

下山すると、大雨の影響で各地に災害が起きていて、高速道路も通行止めになっていました。そのおかげで妙高までの道のりは長くなり、ところどころで沢が濁流になって荒れている様子や、道路にまで土砂が積もっているような場所も目のあたりにしました。山の上も雨はたくさん降りましたが、快適な小屋に滞在してたので下界がこんなひどい状態になっていることは想像もできませんでした。とにかく梅雨が、はやくあけてほしい!

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2006年7月13日 (木)

アウトドア天国、カナダで登山する!

海外で登山をするにあたって必要なのは、まずお金よりも時間だと思う。りお太郎は数年前までは定職に就かずに行き当たりばったり的な生活をしていたが、今は大事な家族と、可愛い学生たち(?)がいるから、妙高でしっかり仕事に励んでいる。きちんと働いている人間は、とてもじゃないけど1ヶ月とか2ヶ月とか海外に出て行けるはずがない!恵まれた職場にいて、理解のある奥さんがいて初めて、やっと1週間の休暇を使って山登りができる。ホントそれだけで十分幸せだろう。

1週間のうちに海外で登山してくることはたいへんだ。1ヶ月とかあればじっくり高所順応なんかもやりながら登山に打ち込めるのだけど、それができないから、めっちゃ慌しいスケジュールで海外遠征を試みなければならないのである。ここ何年かは、りお太郎は10日間くらいの休暇で無理やり、メキシコ、スイス、カナダに行ってきている。むこうにもっと長く居たいなぁといつも思うけど、それなりに毎回満足できているし、充実した登山をしていると自分に思い込ませている。

Photo_2カナダはすばらしい国である。治安も良く、物価も安めで、なによりも自然が豊かだ。りお太郎は日本からカルガリーに飛び、レンタカーを使って動き回り、カナディアンロッキーの山をいくつか登ったが、その中で最も印象深いのが“アッシニボイン”という山である。

かの有名なマッターホルンを思わせるこの美しい山が、日本であまり知られていないことが不思議でならない。標高は3,618mありカナダを代表する山のひとつで、奥深いロケーションとまわりのすばらしい湖などがアッシニボインの山としての価値を高くしている。なによりもその尖った頂上と整った形を見れば、山登りをやる人ならば誰でも登攀意欲が湧いてくるはずだ。(画像をクリックすると拡大します。)

Photoノーマルルートはクライミングのグレードで5.5あり、りお太郎は頂上直下のまさにクライマックスの岩場で相当肝を冷やした。下りはロープを出して懸垂下降したが、登山者が多い日なら、なにより怖いのは落石だと思う。天気が良かったのと、登頂前日に他のパーティと仲良くなっていたことで心強くなり、りお太郎は単独で登頂できた。登山口から通常2日かけて小屋がある最後のキャンプまで行き、早朝登って下山する。予備日無しならば4日間で登れる。しかし、ヘリコプターを使ったり、マウンテンバイクを使ったりして時間を短縮する人も多い。アウトドアが盛んなカナダだけあって、そんなのは当たり前なのだ。もちろんりお太郎は全部歩いたけれど、死ぬほど疲れた。

アッシニボインにやっと最近日本からの山岳ツアーが出始めているようだが、個人でがんばって登り、大きな達成感を感じてほしい。仕事をしている人でも、上手く休暇を使えば、カナダでは充実した登山ができると思う。まだまだ他にもすばらしい山々がた~っくさんありますよ!

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2006年7月10日 (月)

旅人ってカッコイイ?

些細なことで家族と喧嘩して、カバンひとつ持って勢いよく家を飛び出してしまう。“男はつらいよ”の寅さんに、なぜか小さい頃から憧れていました。田舎の駅で電車を待つ姿とか、見知らぬ土地で出会った人と意気投合するところなどがカッコイイなあと思っていました。

Im001964 小学校6年生の時だったと思うのですが、りお太郎もひとり旅を計画し、実行します。時刻表というとっても便利なものを発見したことで、日本中どこでも行けるようになった気がしていたことを憶えています。最初の旅では、山形の荒砥というフラワー鉄道という私鉄の終点の駅まで行き、名物のでっかいお地蔵様を見て帰ってきました。新潟駅発の急行べにばな(今は快速)に乗り、片道3~4時間くらいの行程ですが、小学生には十分すぎるほどの冒険であり、プチ寅さんになった気分だったはずです。

それからは“青春18きっぷ”を使っていろんなところまで行きましたが、楽しかったことよりもちょっと恥ずかしいカッコ悪い思い出ばかりあります。家出少年と思われておまわりさんに呼び止めれたり、雨の日、道を迷ったあげく暗くなり、道を歩いていた人に道を聞こうとかけよったら、怖がられて走って逃げられたことなんかありました。中学生くらいになると同じくらいの年齢の女の子が気になるようになり、電車の中ではまわりばかり気にしちゃって、ひとり旅の風情もなにもあったもんじゃなかった。

ローカル線はますます不便になっているし、電車の中ではみんな携帯電話ばかりやっていて、寅さんを気取って旅ができる雰囲気がどんどん少なくなっていると思います。りお太郎のこだわりは時代おくれと言われるし、今1歳の息子がもう少し大きくなってから、寅さんのロマンを熱く語ってやろうと思っているのですが、相手にされないかもしれないと今から心配しています。息子が中学校くらいになったら誕生日のプレゼントに青春18キップをあげようかなと考えています。それまであのきっぷは廃止にしないでほしいな。

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2006年7月 7日 (金)

I-nacクライミング講師、東秀磯さんの授業

Pict0001_2東さんはクライミングウォール施工者の第一人者であり、日本にわずか数人の国際ルートセッターのひとりとして、日々忙しく活動しています。日本各地のクライミングウォールでのルート作りにはじまり、本当に数多くの大会や講習会に携わっているので、全国どこでも東さんの知らない土地は無いと言っても過言ではないでしょう。だから、東さんの話しを聞いていると、あまりにも多くの情報を持っているので、いつも驚かされます。各地の名産品、その地域の植生、また歴史とか、どこどこの戦国武将のだれだれが、いついつの戦でどうやって攻めたとか、かなりマニアックなところまで幅広くカバーしています。

Pict0015さて、今回は山岳を専攻する2年生に、クライミングの指導法について授業をしていただきました。5日間にわたる授業は、クライミングに関する知識全般と岩場での実施トレーニング、指導演習やルートセット、そして筆記試験まであり、とにかく盛りだくさんでした。学生たちはクライミングを教える能力を身につけるだけでなく、登る能力も高められました。

I-nacでの授業のあと、東さんは妙高から京都に移動しルートセットの仕事、そこから九州と山口県へ行き講習会、その後は秋田で国体の準備だとか言ってました。こんなに忙しく動き回っている人を僕は知りません!

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2006年7月 4日 (火)

コロラドで最初に登った山、Mt.エルバート

りお太郎はアメリカの大学で4年間学びましたが、正確に言うと短大と4年制大学に2年ずつ通ったことになります。オレゴンの高校からコロラドに移って、最初の大学生活を始めたのがロッキー山脈の山奥にある“レッドビル”という町です。

レッドビルは昔鉱山として栄えたのですが、今はかなりサビれてしまっています。ただ、コロラドのみならずアメリカで標高が最も高い町(標高3,000m)なので、りお太郎のような山屋からしてみると魅力のある町だったと言えます。多分、今レッドビルに行って、いきなり町の体育館とかで運動したら、間違いなく高山病になるでしょう。この町には小じんまりしたスキー場もあれば、りお太郎が通っていたコロラドマウンテンカレッジもあるし、まわりには4,000mを越える山々が10コ程あります。

さて、りお太郎はレッドビルに移り住んで、すぐに(まだ学校が始まる前)近くのエルバート山を登りました。標高は4,400mで、コロラド州の最高峰で、ロッキー山脈の最高峰でもあります。まだたっぷり雪がある時期でしたが、日帰りの単独行で以外と楽に登れました。当時18歳のりお太郎にとって初めて富士山より高いところに立ったのがこの山です。斜面はゆるやかなので、冬でもアイゼンは必要なく、スノーシューでだいたい登れちゃいます。123609

エルバート山はコロラドの主要の山の中では簡単に登れる山だし、アクセスも良いです。コロラドマウンテンカレッジ在学中に授業とかでも登ったので4回頂上を踏みました。天気が良ければ頂上からの景色は感動的なものだし、コロラドで一番高いところに立って見下ろす気分は格別です。ただし、りお太郎はエルバートのすぐ隣のマッシブという4,000m峰や、そのまた隣のホーリークロスという頂上付近の岩壁が十字にえぐれている山の方が登山の内容はおもしろいと思います。

日本からコロラドに行く場合はデンバーの国際空港を使うことになり、デンバーから一応レッドビルまでバスが出ています。ただし、アメリカでの旅行はレンタカーを借りて自由自在に動き回るのが最適で、車が無いとどの山の登山口にも楽にはたどり着けません。

最後にレッドビルでオススメする場所は、Wild Bill's Hamburgers & Iceというハンバーガーとアイスクリームのお店です。

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