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2006年8月29日 (火)

貴重なる留学生のデータ

りお太郎は、中学校を卒業してからすぐにアメリカへと留学し24歳まで、あっちで生活していた。そんなことを人に話すと、よく感心されたり、興味をもっていろいろと質問されることがあるが、実際の留学生の生活はたいしておもしろくもないし、平凡で人からほめられるようなものでない場合が多い。

毎年日本からアメリカに留学する人の数はじつに4万人を超える。テロによる影響で一時減少したけれど、今は9.11以前に戻りつつあるようだ。りお太郎が留学したのは1991年で、その年にはじめて1年間のアメリカへの留学者数が4万人に達した。1986年では、まだ1万5千人だったが、そこから急増して、じつに5年間で年間の留学者数は2.5倍になった。だから、りお太郎はちょうどそのアメリカ留学ブームにのってしまった口だったと言える。

そんな、どうでもいいデータはさておき、留学生の実態についてとりあえずひとつ紹介したいと思う。日本人留学生の最大の弱みは恋愛に対して不利な状況にあるということである。なんだそんなことか、と思うかもしれないけど、それが理由でアメリカ留学に挫折してしまった人はたくさんいるはずだ。これは語学力の問題も関係があると言えば、あるのだが、もっと根本的なところの話である。ぶっちゃけると、日本人の男はアメリカでは、まったくモテないのだ。これは悲しいことだが、りお太郎が現実として受け入れなければならなかった事実だった。ここではっきりさせておくが、日本人がモテないのではなく、日本人の男がモテないのである。これはデータにも謙虚に表れていて、アメリカにおける日本人留学生の男女比率は男4に対し、女6で、これは他の外国人留学生の男女比率が、男が圧倒的に多くなっているのを見ると特異にうつる。しかし、りお太郎にしてみればこれなんか当たり前のことで、アメリカは日本人女性にはとても居心地が良い場所だから、女の方が多くなるのは当然だと思う。アメリカ女性から、まったく見向きもされない日本人男性と違って、日本人女性はレディファーストの習慣を叩き込まれたアメリカ男性からとても大事にされ、もてはやされ、恋愛でも決して引け目を感じることがないはずだ。むしろ日本にいる時より、日本人女性たちは自分たちがモテるので、良い気分になっているのではないかと思う。

アメリカ人たちはシンプルな頭の持ち主が多い。料理の味付けと一緒で、大ざっぱになっている。アメリカ男性が恋におちると、相手に対して露骨なほどその愛をみとめてもらおうと突き進む。男の立場は弱いのだ。恋しているという弱みからではなく、選択権がほぼ女性の方にあるため、男の方は必死になってつくさなければならない。主導権をにぎっているアメリカ女性は賢く、強く、悪く言えば生意気で、それは美しい女性になればなるほど凄みを増してくる。こんな世界で、小心者の日本人男性たちが太刀打ちできるはずがない。

アメリカ男性たちにとって、日本人女性たちは驚くほど安らぎを与えてくれるのである。なぜなら日本人女性はアメリカ女性と逆でつくすタイプが多い。どこまでも優しく、男性を立てることを知っていたり、母性本能とやらを使って、男性が甘えてくることさえもゆるしてくれるのである。これはアメリカ男性にとって奇跡のように感じるはず。日本人女性たちが、お節介なほどつくしてくれることにより、多少ブサイクで、金髪女性ほどスタイルがよくないことも忘れてしまい、ジャパニーズのとりこになってしまう。アメリカ男性たちはホント単純なのだ。

アメリカでの、りお太郎の失恋話はあまりにも悲しすぎるので、できればしたくない。恋がはじまる前に、だいたいエンドマークが出されていた。金髪の彼女を夢見て、勇んで立ち向かったのだが、それは無謀な挑戦だったことに気づかされる。りお太郎による真珠湾攻撃は、たった一隻の船さえ沈めることができないまま、こちらが無残に撃沈されたのだった。

アメリカ留学については、またこれからも紹介します。できれば“コメント”でなにか質問をしてもらえるとうれしいです。

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2006年8月23日 (水)

自転車で本州の最南端へ!

ちゃりんこで旅をすることを趣味にしているりお太郎は、ここ何年かは北海道に通い、1週間くらいのツーリングを楽しんできた。今年の夏も新潟からのフェリーで自転車を持っていき、北海道を旅してこようと思っていた。

北海道に行くのを思い直して、旅先を変更するきっかけになったのは、なにげなく地図帳を見ていたら本州最南端という場所を見つけたことだった。その場所があるのは紀伊半島の先っぽ、和歌山県の串本町、潮岬(しおのみさき)である。りお太郎は最南とか最北という場所が好きで、北海道にある日本の最北端の宗谷岬、最東端の納沙布岬(北方領土には行けない)、また沖縄にある最西端の与那国島、最南端の波照間島(沖の鳥島には行けない)にも行ったことがある。それらはすべてちゃりんこの旅だった。だから、ちゃりで本州最南端まで行くことは、なかなか魅力的な計画だった。

Mk_map 紀伊半島には世界遺産の熊野古道や温泉で有名な白浜があり、また伊勢や志摩などにもりお太郎は行ったことがないので、一度は行ってこようという気になった。今回のちゃりの旅は和歌山市からはじめ、紀伊半島をぐるっとまわって、伊勢神宮がある伊勢市まで、海岸沿いを距離にすると約500km走ることにした。なにげなく立てた計画だったが、これが思いのほかたいへんな道のりで、かなりきつい旅になるのだった。

日程は8月11日から17日で、和歌山市までは電車で大阪を経由して行き、帰りは伊勢市から名古屋に出て新潟に戻る予定にした。さて、旅の苦労は自転車に乗る前から始まった。ちゃりが入った輪行バックをかついで、駅のホームからホームへの移動がものすごくきついのだ。それは、ちょうどこの8月の半ば全国的に猛暑だったからである。和歌山駅にたどり着いた時すでにヘトヘト、体が溶け出すほど暑い。気温はなんと38度まで上がっている。汗びっしょりになりながらも自転車を組み上げ、いざ潮岬に向けて出発したのだが、あまりに暑くて足がまわらない。熱中症が心配になってくる。この時、北海道に行っておけば良かったと後悔したが、もうおそい。しかも、大阪方面からの海や観光地などに行く行楽客で、交通量がめちゃめちゃ多いのである。ふらふらしていたら海に行く若者の車にひかれそうになる。さらに!海岸沿いに国道を走っていたが、かなりアップダウンが激しい。1日目から、ずいぶん過酷な旅になったと思った。

Pict0002_2 りお太郎はちゃりだと一日100kmを目安に旅をしてきているが、今回それはあきらめて、休憩を多くとりながら、朝と夕方まだ涼しい時間帯に最も力を入れて乗ることにした。2日目に白浜を通過し、やっとそこから交通量が減って楽になり、3日目に潮岬のキャンプ場に無事到着した。キャンプ大好きなりお太郎だが、風呂にも入らず、熱帯夜をテントで寝ることは気持ちの良いものではない。テントの入口は風通しをよくするために開けて寝たので、体中を蚊にさされた。三重県に入ってもアップダウンの多い道ばかりだったが、5日目になんとか志摩まで来れた。紀伊半島は思っていたよりもずっと山が多くて、その山々は海まで迫ってきている。海岸沿いを走っていてもいくつもの峠を越えなくてはならないのだ。でも起伏のある入り組んだ海岸線は美しく、素晴らしい景色がたくさん見れた。志摩の海岸線もリアス式海岸なので、自転車で走るには面倒なところだった。北海道の長いまっすぐの道がなつかしく思えた。

Pict0022相賀浦という南伊勢市の小さな集落の海岸でキャンプしたとき、ちょうどお盆の祭りの日だった。地元の中学生、高校生たちがワイワイ集まっていたところにキャンプしていたら、その子たちと自然に仲良くなれた。見た目ちょっとやんちゃな男の子もいたが、みんな純粋な感じで、男女がとても仲良くてさわやかだった。一緒に花火を見たりして、りお太郎にとって良い思い出になった。

地図を見ながら旅の計画を立てることは楽しいが、やっぱり行ってみないと分からないことが多い。旅は実際にやってみないと何があるか分からないものだ。まだ今回の旅だけでは、紀伊半島を少ししか知ることができなかったが、りお太郎なりにいろんな発見をしてきたと思う。

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2006年8月21日 (月)

ちゃりで旅をする

Dscn2755 旅をする手段として自転車を使い、人力で必死になって各地を巡っている人は意外と多い。夏の北海道なんかでよく見かけられるのが、いわゆるチャリダーと呼ばれる人種で、旅人の中でも特にマニアックで、かつマゾな連中だ。炎天下で汗だくになってペダルをまわし、車やトラックに遠慮しながら、排気ガスまみれになってノロノロと走っている姿には、感動するよりかは、可哀想に思う人の方が多いだろう。しかし、実は自転車に乗っている本人たちは、そんな時こそ最高の気分で、ちょっとハイになって鼻歌を歌っているものなのだ。

りお太郎が自転車で旅をしようと思いついたのが中学生の時。新潟市から東京までのおよそ300kmを3日間かけて旅したのが最初で(帰りは途中で挫折して、親に迎えて来てもらった)、それ以来懲りずに、毎年一回くらいは自転車で旅をしている。だから、りお太郎も間違いなくチャリダーという変わった人種のひとりなのである。りお太郎がちゃりんこの旅が好きなのは、ガソリンや交通費がかからないから経済的だということも、自転車が地球を汚さないエコな乗り物だからということも大いにあるのだが、自転車のスピードが旅をするスピードとして調度良いと思うからなのである。

新潟駅から東京駅までの移動は新幹線に乗っちゃえば、わずか2時間だ。雑誌なんか読んでいれば気がつくと関東平野にいる。ところが自転車ならば大違い!新潟市を出発し、広大な越後平野を走り、1日中必死にこいでも、湯沢までがやっとたどり着ける距離だ。そしてここからが大変で、新潟と群馬の県境の越後山脈を越えるために三国峠までひたすら登らなくてはならない。苗場のスキー場のあたりまで来るころにはボロボロになって挫折しそうになっている。なんとか持ちこたえて、群馬県に入れたら、今度はカーブが連続する超危険な激坂を車にビビリながら下らなくてはならない。そして、交通量の多い道をひたすら走るのだが、行けども行けども東京は近くならない。コンビニで休憩を入れたりすると、これが癖になって、コンビニがある度に休みたくなってしまう。自転車だと、なんと東京の遠いことか。新幹線で新潟から東京に行くのとでは、まったく距離感が違う。

高い切符代を払って新幹線に乗ってしまうと、途中にある山や川などの景色をいっぱい見逃してしまうが、タダ(無料)の自転車ならばいろんな景色を存分に堪能できる。2時間が3日になれば、その分、旅だからこそ味わえる感動も多くなるし、同じところに行くことの価値がまったく違ってくるのだ。旅人としては、スピードの速い乗り物で、ほとんど何も見ないで慌ただしく各地を移動することはしたくない。新潟~東京間は新幹線で1万円だけど、その同じ費用で3日間かけてちゃりで充実した旅ができる。もちろん泊まりは野宿になるけれど。

Dscn2760 自転車は降りたくなれば、いつでも降りることができる。きれいな景色があればどこでも、足を休めて止まれば良いのだ。車だったら、どこでも気軽には駐車するわけにいかないから、つい立ち寄るのは“道の駅”とかだけになってしまう。あと、ちゃりならば、歩いている人に声をかけられる。だから、あいさつもできるし、がんばっているね、と逆に応援されることなんかもある。旅先で知らない人とふれあう機会があれば旅の楽しさは倍増するものだ。ちゃりならば、そんなチャンスがめぐってくることも多い。

ちなみに、りお太郎はこの8月に紀伊半島を1週間かけて旅しました。また次回にそのちゃりんこの旅のことは紹介します。

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2006年8月 4日 (金)

妙高で洞窟探検

妙高の樽本というところにI-nacの授業などでよく行く沢がある。途中に滝があり、シャワークライミングもできるなかなか良い沢なのである。実はこの沢の2つ目の滝がある場所に洞窟があり、以前からとても気になっていた。その入り口からだと、どのくらい深いのか見当がつかなかったので、いつかきちんとヘッドランプを用意して奥まで探検しようと考えていた。

ところが、りお太郎より先に学生が数名、この洞窟に踏み込んできたのである。話を聞くと、内部には天井いっぱいのこうもりがいて、その大群にビビってしまい、ちゃんと奥まではいけなかったそうである。体にこうもりが数匹とまった、なんて武勇伝を聞かされたので、りお太郎は学生よりも、もっと洞窟の奥まで行ってきてやろうという気になった。中で二股になっているなんてことも言っていたので、洞窟は相当深そうだ。

P8030028さて、昨日はとても暑く、沢登りには絶好の天気だったので、りお太郎は武先生と今田先生と一緒に、その洞窟に行くことにした。そして、洞窟が二股になっている先まで進み、片方の行き止まりまでは入ってきた。こうもりの数は想像以上で、体中にこうもりがぶつかってきて、最初は“ぎゃー”とか言っていたけど、たぶん感覚が麻痺してきたのだろう、そのうち頭にこうもりがとまっても驚かなくなった。それよりも、りお太郎はこうもりの“う○こ”の上を歩かなくてはならないことに抵抗を感じ、ヘッドランプに照らされた、どっさりと積もったあれの様子が、どうしても今も頭から離れてくれない。

二股からさらに進むと、奥に行けば行くほど狭くなり、途中からはって進まなくてはならなくなった。生き埋めになった気分になるくらい狭い洞窟の中で、こうもりに飛び回られながら、どんどん不安になってきたりお太郎は、一番奥まで行ってやるという最初の目標を簡単にあきらめてしまった。洞窟は思っていたよりずっと深く、たぶん50m以上は入ったと思うけど、まだまだ先は続いていそうだった。

地元の人の話では、昔の鉱山跡だということだ。こうもりたちの住みかに突然押し入ったので、慌てさせて可哀想な事をしたと思う。またすぐに人間たちがあそこに踏み込んでいくと、こうもりたちを驚かせて洞窟から引越させてしまいそうなので、次回行くのは当分先になってからにしようと思っている。あの狭いところの奥に行くために、りお太郎はもっとスリムにならなくては・・・

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