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2007年2月14日 (水)

I-nac山岳部 in 四阿山&根子岳

I-nac山岳部は、今回長野の菅平周辺の山に行きました。

まず2日間で日本百名山のひとつ四阿山に登り雪山を堪能し、3日目にバックカントリースキーのメッカになっている根子岳を登り、山スキーの醍醐味を知るという計画でした。今年は雪が少なく、冬山登山も山スキーもコンディションがあまりよくないのではと心配していましたが、菅平周辺は意外と降雪量があり、十分楽しむことができました。

P2100099P21001191日目は幕営するための装備を担いで、標高2,000mあたりまで登り、2日目の早朝に山頂にむかう予定でいました。1日目は天候に恵まれ、みんなも元気いっぱい、良い幕営地も見つけることができたし、次の朝は快調に登頂できることを誰も疑っていませんでした。ところが、2日目の朝、目を覚ますとテントには雪があたる音がする。外をのぞいてみると、完全にホワイトアウトではありませんか!くっそ~!前の日、そりで遊んでいないで、山頂まで行っておけばよかった、と後悔してもしようがない。風も強く、とにかく視界も悪かったので、登頂を断念し、下山することを余儀なくされました。

Pict00093日目は快晴!思わずイヤッホ~と叫ぶ。スキー場のリフトを使ってちょっとだけ標高をかせぎ、根子岳山頂を目指しました。山岳部員たちはスキーで滑走することを目的にバックカントリーに入るのは初体験だったのですが、ザックにスキーを取り付けて登っている姿は、けっこう様になっていました。この日は美しい青空がひろがり、気持ちの良い日になりました。しか~し、りお太郎のノリノリの気分をあるものが壊してしてくれたのでした。それは・・・ヘリです。根子岳はバックカントリースキーのメッカだし、山スキーやテレマークスキーを使って、りお太郎たちのように登っている人が多くいたのですが、それはまあ良いとして、ひっきりなしに頭上をヘリコプターが飛びまわっていて、轟音がずっ~と響きわたっていたのでした。だから、ザックも持っていない大勢の人がなんの苦労もしないで根子岳山頂を訪れていたのです。根子岳は天候さえ安定していれば、登るのが難しい山ではないし、やはり自分の足で登ってから、スキーで滑った方がよっぽど達成感を感じることができるはずなのに。文明の利器、ヘリを使って楽に山頂に立ってしまうのはもったいないと率直に思いました。

とにかくPict0018Pict0022_2山頂からの下りは最高!雪は少なかったですが、授業で練習したスキーの技術を駆使しながら、みんな気持ちよく滑ることができました。タケヒロは前回、根子岳に来たときはスキーの経験が浅かったため、歩いて下山しなくてはならなかったのだけど、今は見違えるようにスキーが上手くなりました。木の間の狭い場所ををぬって滑走する姿はかなりイケていた。JUNは履きなれないスキー靴(りお太郎のを借りていた)で足にマメをつくりながらもよくがんばった!MEGはひとりだけソリで滑りました。彼女はバックカントリーにおけるソリの第一人者にもなれるくらいコントロールには長けています。

P2120051みんなホントに楽しそうでした。山岳部の活動で、また山にスキーで行く計画が立てられる予感がしています。

撮影者:ITTO、SAKA、TAKEHIRO

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2007年2月13日 (火)

「オルガンパイプ・サボテン」と語り合ったこと

りお太郎がアリゾナ州で、最初にバックパッキング(ザックを担いで何日間かキャンプをしながら、トレッキングすること)をした場所が、オルガンパイプカクタス・ナショナルモニュメントという広大な国立公園である。カクタスとはサボテンのことで、ここではオルガンパイプのようなかたちをした珍しいサボテンを見ることができる。

Organ_pipe_cactus_1メキシコとの国境を挟んで、アリゾナ州の最南に位置するこの場所にしか、オルガンパイプサボテンは分布していない。ひとつのサボテンが何本もの枝に分かれて、ニョキニョキと空に向かって生えている姿は、かなり独特なものであり、どこか不思議なんだけど、とても美しいのだ。夏には先端部分に花が咲くので、さらにもっと美しくなる。りお太郎は大学の授業でこの地を訪れ、そのサボテンだけでなく、このエリア全体の雰囲気に魅せられた。

現在、オルガンパイプカクタス・ナショナルモニュメント内では、整備されたキャンプ場に泊まることはできるが、公園の奥の方にバックパッキングで入ることは禁止されてしまった。理由は、メキシコの国境を越えて不法に入国する人が絶えず、それを取り締まるため国境周辺を無人地帯にするからだということだ。それによって何年か前にりお太郎が通ったルートを、同じようにトレッキングすることはできなくなった。その当時でも、ほとんど人が入っているような感じはしなかったが、今は公園のほとんどが秘境のような場所になった。きっと何年間も、まったく人目に触れることのないオルガンパイプ・サボテンが、いくつもあるに違いない。

さて、りお太郎がここを訪れた時、一緒だった仲間たちについて紹介したい。アメリカの大学でアウトドアを専攻していたりお太郎は、その大学の選択授業で「アウトドア・セメスター」という、4ヶ月間もの間大学を離れて、アメリカとメキシコを旅をしながら学び、同時に単位も修得していく、ものすごく特別なプログラムを受講した。20人くらいで大きなワゴンに乗って各地を転々と回るのだが、(ちょっとあいのりっぽい)毎日キャンプで自炊だし、登山、クライミング、カヤック、スキー等を活発に行い、さらに植生や生態学、野外教育の歴史から地質学、考古学まで幅広く学ぶのである。まるで旅行のようだから楽しいと感じることも多いのだが、精神的に追い込まれることもある。なぜならば、一緒にいる20数名の仲間たちとは常にず~っと一緒で、すべてのことを話し合いによって決めなくてはならず、何回も議論を繰り返しながら物事を解決していくという、とても労力のかかることがついてまわるからだ。(登山の中で山頂をあきらめ撤退するかどうかという決断から、たかが夕飯のおかずをどうするか等、ホント小さなことまで話し合う)

Body_bc556campingdeanmy オルガンパイプカクタス・ナショナルモニュメントでは、グループに分かれて4日間のバックパッキングを行い、ナビゲーションスキルを実践することと植物を研究することがりお太郎たちに課された。意外と簡単そうに聞こえるかもしれないが、この公園はとにかく広い上に地形の変化が少ないので、コンパスを使ったナビゲーションが難しい場所なのだ。しかも、ここは灼熱の砂漠であり、日陰をつくる樹木も小川なども全く存在しない。ザックの中には一日2リットルとして合計8リットル(重さにすると8kg)も水を運ばなければならなかった。りお太郎たちは、必死になって一日中歩いたが、方向を誤ったりして、夜更けまで目的地に到着することができないことがあった。暗くなってから重いザックを担いでフラフラしていたら、ふくろはぎに小さいサボテンが刺さったりして泣きたくなった。

そういった状況の中では、一緒にいる仲間どうしでサポートし合うことが大事になってくる。たしか、りお太郎のグループには2人の女の子とジェフがいたはず。(全部で5人くらいだったと思うけど、他のメンバーのことは忘れた。)はっきり憶えていることは、女の子たちは体力がなかったこと、そして愚痴ばかり言っていたことだ。それを一生懸命に受け止めて、グループの中で一番責任感があったのがジェフだった。アメリカ人としては寡黙な方で、何を考えているのか分からない印象なのだが、押し黙ったまま黙々と物事をこなす男だった。多分言いたいことがあるのに、いつもそれを言わないで他人の意見を尊重していたのではないだろうか?ジェフは体力があった。それゆえにみんなの先頭に立って、グループを率いることが多くなったが、とかく迷いやすい地形だったため、思うように目的地に向かって進んでいかないことがよくあった。情けないことにりお太郎は、砂漠という場所に戸惑い、熱くてやりきれなくて、もうナビゲーションをする余裕はなくなっていた。

グループが夜になっても幕営地にたどり着けなくて、ひたすら歩き続けなくてはならなかったのは、もちろんジェフだけのせいではなかった。全員で協力して、地図をじっくり見ながら進んでいくべきところを、ジェフ以外のみんなは疲れてしまい、怠けていただけのことだ。しかし、グループの女の子たちの非難と、愚痴はジェフに対して集中した。そんな文句ばかり言うなら、おまえたちもコンパスを使ってちゃんとナビゲーションをしたら良いだろうと、ひとことでもりお太郎から声が出れば違ったかもしれないが、りお太郎は女の子には遠慮がちになっていた。愚痴の矛先がこちらに向くことを恐れたに違いない。そんな状況でもジェフは頑張り、一心にグループの責任を背負ったのだった。絶対に、文句に対しても言い返すことはしなかった。

Dscn1392バックパッキングの後半になっても、灼熱の大地に苦しめられた。いい加減オルガンパイプ・サボテンには見飽きていて、ただ活動が終了することばかりを願うようになった。女のメンバーたちの言動はとどまることを知らず、ジェフに対する遠慮などまったくなかった。ある日の夕暮れ、ヘトヘトになってキャンプ地に着き、ホット一息ついていたら、ジェフの姿が見えなくなった。りお太郎はあまり気にしなかったのだが、用を足すためにキャンプ地を離れたら、ばったりジェフに会った。厳密に言うと、ジェフが怒り狂って大暴れしているところに出くわしてしまったのだ。ストックを振り回して、こともあろうにオルガンパイプ・サボテンをぶった切りにしていたのだ。(このサボテンは国定記念物に指定されていて、伐採や花の採取などは当然のように禁止されている。見つかったら罰金だ!)りお太郎に気づいたジェフがとった行動は一生忘れられないものとなった。ジェフは手に持ったストックを投げ出し、子どもように泣き出したのだ。そしてわれに返ったように、オルガンパイプ・サボテンに謝った。顔を地面に押し付けて必死になってソーリーを連発していた。その姿を見て、僕からも心の中で必死にオルガンパイプサボテンに謝りました。その時、頭の一部が無くなってしまったサボテンは、悲しそうにふたりを見ていました。

りお太郎にはジェフにかける言葉も無かったが、とにかくあのクールで、屈強な男が泣いていることに大きなショックを受けた。その時感じたのは、せめて自分だけでも絶対にジェフの味方になってあげなくてはならないということだった。だから、りお太郎は残りのバックパッキングの間、積極的にリーダー的な立場のジェフをアシストし、女の子たちにもダラダラ後ろからついてくるだけでなく、地図を見て考えるよう声をかけるようになった。それによって、グループ全体が分裂することはなく、逆にみんなが協力し、お互いの意見も言い合えるようになり、雰囲気が良くなったのだ。

バックパッキングの最後にはみんなの顔には笑顔があり、ゴールに到着した時にはアツい“ハグ”をかわすことができた。ジェフとはかたい握手をしたのだったが、彼の口からサンキューという言葉をもらった時は素直にうれしかった。

何年かしてから、ジェフとは再会する。彼はりお太郎よりも早く大学を卒業し、ファイヤーファイター(消防士)になった。彼の勤務先の小さな田舎町に、何人かで図々しく遊びに行ったことがあったが、きまじめで、精神的にも強い彼には消防士という職業はぴったりだと思った。がっちりした体型のジェフに、消防隊員の制服はとても似合っていた。

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2007年2月 1日 (木)

そしてたどり着いた場所は、GRAND CANYON

226627_1りお太郎が初めてグランドキャニオンを訪れたのはたぶん16歳くらいの時だったと思う。高校の先生や同級生数人(りお太郎はアメリカの高校に通っていた)と一緒に、大きなキャンピンカーでオレゴンからアリゾナのグランドキャニオンまで2週間くらいかけて旅行した。

今でも、かなりはっきりと憶えているのだが、一番最初にグランドキャニオンを目にした時は、想像していたものより何倍もインパクトがあり、ただただ驚くばかりで声も出なかった。とにかく感動した、とひとことで言ってしまえば簡単だけど、若いりお太郎にとって、グランドキャニオンとの出会いは衝撃的で、それは完全に一目惚れのようなものだった。

13911国立公園に指定されている範囲で言えば、グランドキャニオンは全長約450km、深さは平均で1,200m、幅は広いところだと30kmにも及ぶ。しかしその規模が示すスケールは、あくまでもグランドキャニオンの単なるデータであり、あの峡谷のスゴさや偉大さを形容するものではない。りお太郎がグランドキャニオンに驚かされた理由、またグランドキャニオンに恋をしてしまった理由は、なによりも、あの峡谷が美しかったからだ。ホントにびっくりするくらい美しいんだ、これが!

225197はっきり言って、グランドキャニオンの美しさを表現したり、どれだけすばらしいところなのかを伝えることはわたしにはできません。だから、もう、みなさん自分でアリゾナに行って、見てきてくださいよ!めっちゃ感動するからさ。何もないような砂漠を進んでいくと、いきなり現れるんだ。大体いつも青い空の下に、ドーンとドでかい峡谷が見渡す限り広がるのだよ。夕日が沈むとき、その峡谷は真っ赤に染まって素敵なんだ。月明かりの下で、峡谷の端に腰掛けているとちょっと怖いんだけど、そんな時に、自然に対し心から感謝したくなるのだよ。あと、調子にのってグランドキャニオンを一気に谷底まで降りてしまうと、渓谷の上に戻ってくるのにとっても苦労するのだよ。りお太郎はホントひどい目にあったことがある。あそこは逆登山ができる。(行きが下山で、帰りが登山)

りお太郎はもうグランドキャニオンを6、7回は訪れているので、思い出を語ればきりがない。だから、その中のひとつだけを紹介します。

りお太郎が18歳の時に大好きだった女の子、I-nac生ならばみんなが知っている“ジェニファー”とのことです。いつだったか、ジェン(ジェニファーの呼び名)とふたりきりであれやこれや話をしていたら、彼女はグランドキャニオンに行ったことがない、ということを知りました。ジェンは酪農家の娘で田舎者なのです。りお太郎はグランドキャニオンの魅力について熱弁し、ジェンもそのうち行ってみたいな、などと言っておりました。当時ふたりが通っていたコロラドの大学が夏休みに入る直前の5月、もう授業もほとんどおわり、それぞれ地元に帰ったり、どこかに夏期アルバイトをやりに行ったりする計画をしていました。りお太郎はとりあえず山を登ることぐらいしか考えてなくて、夏休みに仲間とどこかに行くような予定もないから、3ヶ月もある夏休みはひとりでいることが多くなることが目に見えていました。

もう何ヶ月間もジェンに会えないのだと考えると、とてもつらくて、寂しくてたまらない。だから、休み前ふたりきりになった時、りお太郎は思い切って彼女に言いました。

I'm going to the Grand Canyon.  Do you want to come with me?  “俺はグランドキャニオンに行くんだ。一緒に行くか?”

ジェンはそっけなく、わたしはモンタナに帰るわ、と言いました。(モンタナは彼女の地元) 悲しかったな~。全然、彼女に好かれてはいないなと思いました。そして傷心のまま、りお太郎は夏休みの間、ひとりでグランドキャニオンを訪れました。(行くって言ってしまった以上、行かないと嘘つきになっちゃうから)落差1,000mの谷底に飛び降りるような真似はしなかったけど、渓谷にむかって叫んだり、泣いたりはしたと思うよ。

なんと、ジェニファーはそのまま大学を転校してしまい、夏休みが終わっても、りお太郎が通っていた大学に戻ってくることはなかったのです。(アメリカで大学を転校することは、単位とかがそっくりそのまま別の大学に移行されるようになっているから、よくあることなのだ) だから、あれ以来ジェンには会っていません。

ひとりで勝手に恋をして、勝手にフラれた気になっていたのだけど、そんなこと分かっていても、相当ヘコみました。はじめて本気で好きになったアメリカ人、そのジェンに、最後に言った言葉は、グランドキャニオンに一緒に行こう!だったのです。グランドキャニオンが思い出深い場所なのは、そんな思い出があるからかもしれない。

124216今度、I-nacの海外研修でグランドキャニオンに行った際、りお太郎が寂しそうにたたずんでいたら、学生のみんなはぜひ、気をつかってそっとしておいてあげてね。

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