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2007年3月29日 (木)

アメリカ視察 ②

ラスベガスから南東に400km、ほぼアリゾナ州のど真ん中にプレスコット市はある。りお太郎は今回初めてこの地を訪れた。町の人口は4万人で、もともと鉱山の発見によって19世紀半ばから栄えはじめ、近年に関してはカリフォルニア州などから移住者が多く、あとアリゾナ州の大都市フェニックスから避暑で訪れる人がたくさんいるとのことだ。標高1,600mの山に囲まれた静かな田舎町をイメージしていたが、実際のところは、ショッピングセンターやたくさんのホテル、カジノまであり、予想よりも賑やか、というよりは騒がしい感じがした。

りお太郎はシボレーHHR(前回の項参照)をかっ飛ばし、プレスコットに到着したのだが、ここに来た目的は当然カジノで遊ぶためではない。自然豊かなプレスコットにある、かの有名なプレスコット大学を訪れるためだ。その独自のカリキュラムで環境教育と冒険教育の分野では先進的な人材を育成している学校であり、りお太郎もアメリカの大学でアウトドア関係の学部を専攻していたので、プレスコット大学の名前だけは聞いたことがあった。半年ほど前に、りお太郎は大学の冒険教育学部の先生にメールをうち、それからメールのやりとりをはじめ、I-nacの研修でプレスコット大学を訪問したいということが伝えてあった。そういうことなら、全面的にお手伝いさせてもらうとも言ってもらっていたので、今回は大学を訪れてI-nacの学生たちがプレスコットでどんなことができるかを打ち合わせすることになっていたのである。

プレスコットの中心街からすぐ西に行くと住宅地のエリアなのだが、そこにあるプレスコット大学のキャンパスに、りお太郎は地図を見て探すまでもなく、すぐにたどり着けると思っていた。ところが、“プレスコット大学はこちら”という看板は見つけたものの、大学のキャンパスらしきものが見当たらなかったのである。道を行ったりきたりしながら、住宅街をウロついていると“プレスコット大学”のネームが入った車やバンが駐車しているのを見つけた。Dscn7204そこには10人乗りくらいのハイエースのようなバンが30台くらいはとまっていたが、なんで学校の校舎が見つけられないのか不思議でならなかった。もしやと思い、よ~く駐車場周辺を見てみると、だれかのお宅や倉庫のように見えていたのは、まぎれもなくプレスコット大学の建物で、住宅街にいるように感じていたが、実はプレスコット大学のキャンプ内にりお太郎はすでに無事に到着していたのだ。マジ!ここなのか?

プレスコット大学は、そのほとんどの授業が野外で実施される。だから教室などはあまり必要とせず、校舎は用具を保管しているまるで倉庫のようなところばかり。まともな建物は、図書館とカフェテリアくらいで、変な建物の中がところどころ教室になっている。驚いたのは大学とは関係のない普通のお店が入っているその同じ建物に、教室や先生のオフィスがふつ~にあったりすることだ。ちなみにりお太郎がメールでやりとりをしていたスティーブ先生のオフィスは、チェーンソーなどを売っている林業関係のお店の2階にあったのだった。Dscn7198

すごいところにやって来たぜ。りお太郎はこの大学に最初から驚かされたのだが、サプライズはこれだけではなかった。

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2007年3月28日 (水)

アメリカ視察 ①

3月17日、りお太郎はアメリカ・ロスアンジェルス行きのノースウエスト航空002便を待っていた。

成田空港のターミナルにいるほとんどの人が観光客であり、大小さまざまなスーツケースをガラガラと押しながら、チェックインカウンターやおみやげ屋さんあたりをウロウロしているのである。でも、中にはいかにもビジネスマンといったようなパリッとスーツを着た人たちもいて、“おれは世界をまたにかけて仕事をしているんだ。”というオーラを出していたりする。

りお太郎だってまさしく仕事での海外出張なわけで、チェックインや税関なんかも旅慣れているから余裕だし、英語に関しては不安を感じるはずもなく、「トラベル英会話」なんていう本を大事そうに持っている旅行者とは違うのだ。しかし、成田空港ですれ違った人のだれしもが、りお太郎が仕事で海外に飛び立とうとしていることに気がつかなかっただろう。

それは、りお太郎は100リットルのドでかいザックを担ぎ、軽登山靴をまとい、決してパリッとした服装は着ていなかったからであり、どう見てもこれから海外を放浪しようとしているバックパッカー(ある意味正解)、もしくは登山遠征隊のメンバーにしか見えなかったはずだ。ザックには寝袋や炊事用具、一人用テントまで入っていて、今回の“仕事”での海外出張ではそれら用具が必要になるものだ。

さて、成田からロスアンジェルスまでは片道約9時間、そしてLAからラスベガスまでは1時間で、トランジット(乗り換え)を含めると12時間程度の行程で、日本とは時差16時間ある世界的に有名なカジノの町に着く。この砂漠の大都市を基点にして、自然豊かなアリゾナやユタの国立公園などを訪れるためにはレンタカーを使う以外は考えられない。

レンタカーは事前に日本で手配しておいたが、通常は車のサイズだけ指定しておき、現地に入ってからそれにあわせた車種が用意される。ラスベガス空港のハーツ(レンタカー会社)でりお太郎を待っていたのは“シボレーHHR”という、いかにもアメ車といった角ばった車で、カッコ良いけど日本車と比べるとずいぶん燃費が悪い車だった。早速、HHRの左ハンドルを握りしめ、日本とは違うアメリカの右車線に少しとまどいながらも、一路アリゾナ州のプレスコット大学を目指したのだった。

Ext_gallery11 Chivrolet HHR  シボレーのホームページより

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I-nacアメリカ研修の視察に行ってきました!

今年の9月に実施されるI-nacのアメリカ研修にむけて、りお太郎は着々を準備をすすめています。

今月にアメリカを訪れ、8日間でしたが下見をしてきました。今回はネバダ州、アリゾナ州、ユタ州をまわり、おもにアメリカの現地の大学や国立公園を視察したのでした。

りお太郎の視察はこのようなスケジュールでした:

1日目 妙高→成田空港(電車)→ロサンジェルス国際空港→ラスベガス空港(ノースウエスト航空)→アリゾナ州へ(レンタカー)

2日目 ★プレスコット市周辺の散策

3日目 プレスコット市滞在 ★プレスコット大学見学 アドベンチャーエデュケーション学科の先生たちと打ち合わせ

4日目 プレスコット市滞在 ★プレスコット大学の授業見学

5日目 アリゾナ州北部 ★グランドキャニオン国立公園視察 (アリゾナを縦断し、ユタに向け北上)

6日目 ユタ州南部 ★コットンウッド渓谷の遺跡調査

7日目 ユタ州南部 ★モリズ山登山

8日目 ユタ州南部 ★パリア渓谷、ザイオン国立公園視察 ネバダ州ラスベガスへ移動

9日目 ラスベガス空港→ロサンジェルス国際空港→成田空港(ノースウエスト航空)→妙高

レンタカーを使って各地をまわりましたが、8日間で走行距離が1,700kmにもなりました。かなり忙しく各地を転々としました。どんなところに行ったかをこれから紹介します。

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2007年3月 4日 (日)

地平線のかなたに見えたのは、灼熱の大地とアリゾナ州

わざわざ海外に行って旅をすることにどれほどの価値があるのか、りお太郎自身も正直言って分からない。りお太郎の場合、山登りを目的に外国に行く事が多いが、単独ゆえか、登山に失敗することは多い。世界的に有名な山である、ヨーロッパアルプスの“マッターホルン”やアラスカの“マッキンリー”などにも行ったが、その両方とも登頂はできずに途中で断念している。りお太郎は旅そのものに価値があると思っているので、山の頂に立てなくても、海外まで旅をしてきたことで大きな喜びを感じられる。しかし、山を登りに行ったのに、頂上まで登れずに帰ってきていては、少し悔いが残るし、まわりからも残念だったねというような言葉をかけられてしまう。

そんな中、りお太郎の旅が過大なほどの評価を受け、その旅をやり遂げたことで、だれもが口をそろえて賞賛してくれた旅がある。もう10年以上前のことだが、アメリカ大陸を自転車で横断した時のことだ。今よりもずっと無鉄砲だった19歳のりお太郎は、根気強く毎日約100kmを自転車で走り、2ヶ月くらいかけて太平洋から大西洋まで自転車をこいだのだった。その旅には計画性がなく、行き当たりばったりだったので、無事に終えられたこと自体が幸運だった。しかも、旅の終わりでノースカロライナ州の田舎町にあるサイクリングクラブの会合に招待されたり、地元の新聞の記事になったりするというおまけまでついたのだった。

自転車で5,000km以上走ったと言うと、とても大変そうに聞こえるので、この旅について人に話すと驚かれたり関心されたりもするが、実際のところは若さゆえにある勢いと、十分な時間とそれなりの体力があれば、誰にでもチャレンジできる旅なのかもしれない。ただ、りお太郎にとって旅の前半、最初の2週間くらいはとてもつらいものがあった。しかし、この旅が思い出深いのは、やはりきつい思いをいっぱいしたからであり、特に旅の出発地だったカリフォルニア州と、その隣のアリゾナ州を走っている時のことは鮮明に憶えている。

W51308deathv06dd368 西からカリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコと、アメリカでも南部のエリアを自転車で旅をしていたのだが、これらのエリアは乾燥した砂漠地帯である。出発したのは5月だったが、その時期でも相当暑かった。自転車で走るのはつねに炎天下で、舗装された道路からの照り返しもきつかった。気がつくと、自分自身の汗が蒸発して、体中が塩をまぶされたように真っ白になっていた。あと、つねに大型のトラックが横を走りぬけ、排気ガスのせいで鼻の中はいつも真っ黒だった。クタクタになってキャンプ地に着き、ほとんど倒れるようにテントの中で寝入ってしまったりして、朝起きて寝袋の上で、自分が死体のように醜く、汚い姿でいることに愕然とした。

「1995年 夏のある日」

この旅で使っていたのは超テキトーなロードマップ。それを見ながら最短距離のルートを選びながら、かなりアバウトな感じで東に移動していた。しかし、いきなり大きな峠があらわれたり、地図上では表されていないが、道がクネクネ蛇行したりしていて、自転車に走りにくくて苦労したりした。出発してから1週間がたって、ようやくカリフォルニア州から、アリゾナ州に入れるというところまで来た。ここに、カリフォルニアの最後の町から、アリゾナの最初の町まで、なんと170kmもの無人地帯があった。その区間は、建造物はひとつもなく、日陰を作ってくれる木もまったく生えていないようなところだ。途中コンビニなんかがあるはずもないが、出発地から170km先にガソリンスタンドが一軒あるらしいということが地図で分かった。西海岸から東海岸まで全部で10の州を横断する予定でいたが、ここを通過すればそのひとつのカリフォルニア州はとりあえず終わるのだと思ったら気合が入った。

その日は4リットルくらい水を持って出発したが、灼熱の大地の直射日光により、あっという間に水はお湯になった。汗が乾いて体中が塩辛くなっている。そのまま、アスファルトの上で焼き魚のようにされてしまいそうだ。自転車にはテントや寝袋、コンロから炊事用具までいろんなものを積んでいるのでけっこう重い。少しばかりの登り坂でも、体が悲鳴をあげる。暑すぎて食欲は無くて、とにかく170km先のガソリンスタンドにたどり着くことしか頭にはない。必死になって自転車をこぎながら、考えていたのはガソリンスタンドで買えるであろう、アイスや冷たいジュースのことだった。砂漠の中のまっすぐの道は果てしなくて、まるでずっと同じところを走っているようだ。はるか彼方先まで同じ景色が広がっていて、一直線の道路以外もはなんにも見えない。目標物になるものは何もなかった。そして行く手にある道は蜃気楼のようになってかすんでいて、距離感さえ分からなくなるのだ。

W51308deathv30dd380 朝早く出発したのだが、、夕方になっても自転車をこぎ続けていた。自転車のスピードはかなり遅かった。食欲がでないから、エネルギー補給もままならず、いわゆるシャリバテのような状態だったのだろう。だけど意識だけははっきりとしていて、冷たいジュースとアイスという明確なゴールに向かって進んでいた。そして日が傾き、砂漠がオレンジに色づいてきた頃になって、ついに地平線の彼方に見えたものがあった。何時間も景色がほとんど変わらなかったから、ささいなものでも見逃さなかった。黒い四角いものと、その隣に棒のようなものが立っている。それがガソリンスタンドで、棒のように見えたのは“テキサコ”とういそのガソリンスタンドの看板だと気づくのに時間はかからなかった。地図どおり170km先にガソリンスタンドがあったのだ!走りきったという達成感と安堵感が、限界に近かった体に少し力を与えてくれたように思えた。ガソリンスタンドと、そこで手に入れることができる、太陽に照らされ続けた体を冷やしてくれるもののことで頭がいっぱいだったが、ガソリンスタンドに近づいていきながら、疲れきったりお太郎の目にさらに驚くべきものが写った。まったく予想していなかった景色が視界に飛び込んできたのだった。

ガソリンスタンドの先には、相変わらず一直線のまっすぐの道が続いていたが、そのむこうの地平線のかなたには緑の大地が見えたのだ。一瞬幻覚かと思ったが、幻なんかではなく、まるでオアシスのような場所が確かに広がっていた。ずっと赤茶けた渇いた土と灰色の道路しか見ていなかったせいか、それはあまりにも美しい景色だった。その緑の大地の中心には大河が悠々と流れていた。これがカリフォルニア州とアリゾナ州の境を流れるコロラド川とその流域周辺だったのだが、ボーっとした頭にはこの近隣エリアの地形を描くことは難しかった。

ガソリンスタンドでガソリン以外のものでエネルギーを補給したあと、りお太郎は快調に飛ばした。道がコロラド川までゆるい下り坂になっていたこともあるが、それより、弱気になっていたりお太郎のハートが強く鼓動をはじめたことで、元気がもどったのだ。りお太郎がそのとき見ていた景色は言葉ではあらわせないほど壮大な景色だった。ロッキー山脈から流れ出た大河は、いつかメキシコの海にそそぐ。そんなアメリカ大陸のスケールのデカさを肌で感じることができていた。コロラド川のむこうの大地は、ずっと地平線の果てまで永遠とつづいている。その大地がつきるまで、自分は行こうとしている。まだ見ぬ大西洋に到達するまでだ。そのとき、りお太郎は幸せな気持ちで一杯だった。大自然の真っただ中で、自分は懸命に生きているという実感がわいて鳥肌が立った。まだ旅は始めたばかりだったが、自分はこの旅をやり遂げられるだろうという根拠のない自信がわいてきた。

「その後は・・・」

アリゾナ州に入ってからも苦労の連続で、道路にアップダウンが多くて、毎日いくつもの峠を越えなくてはならず大変だった。でも、いつのまにかりお太郎の足はパワーアップしていた。自転車に乗ることが楽しいと思えるようにもなった。アリゾナの東部、ショウロウという町は忘れられない町のひとつで、ここではキャンプ場が見つけられなかったので、仕方なしに適当な場所で野宿しようと考えた。しかし、最後に寄ってみたキャンピングカー専用のキャンプ場(テント泊は禁止されている)の人が、汚い日本人なのにとても親切にしてくれて、最高に快適な芝生の上にテントを張らしてくれたのだった。キャンプ場代は当然のように無料だった。さらにディナーを振舞われたり、それまでの行程での苦労話しを半ば無理やりに披露させられたりした。そして、東海岸に無事到着したら、はがきを送ってくれと頼まれたことで、すごく勇気づけられた。これで途中、旅を断念してしまうことができなくなったと思った。ひとりぼっちの旅だったが、いろんなところで出会った人たちから支えてもらい、うれしさで涙を流すほうが、つらくて涙が出そうになることよりもずっと多かった。

ショウロウ周辺は見渡す限り牧場ばっかりなのだが、まっすぐにのびている一本の道を自転車で走っている時はすごく気持ちが良かった。何百頭という牛が、めずらしいものでも見るように、りお太郎を見ていた。そんな光景は一生忘れることはできないだろう。

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