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2007年3月 4日 (日)

地平線のかなたに見えたのは、灼熱の大地とアリゾナ州

わざわざ海外に行って旅をすることにどれほどの価値があるのか、りお太郎自身も正直言って分からない。りお太郎の場合、山登りを目的に外国に行く事が多いが、単独ゆえか、登山に失敗することは多い。世界的に有名な山である、ヨーロッパアルプスの“マッターホルン”やアラスカの“マッキンリー”などにも行ったが、その両方とも登頂はできずに途中で断念している。りお太郎は旅そのものに価値があると思っているので、山の頂に立てなくても、海外まで旅をしてきたことで大きな喜びを感じられる。しかし、山を登りに行ったのに、頂上まで登れずに帰ってきていては、少し悔いが残るし、まわりからも残念だったねというような言葉をかけられてしまう。

そんな中、りお太郎の旅が過大なほどの評価を受け、その旅をやり遂げたことで、だれもが口をそろえて賞賛してくれた旅がある。もう10年以上前のことだが、アメリカ大陸を自転車で横断した時のことだ。今よりもずっと無鉄砲だった19歳のりお太郎は、根気強く毎日約100kmを自転車で走り、2ヶ月くらいかけて太平洋から大西洋まで自転車をこいだのだった。その旅には計画性がなく、行き当たりばったりだったので、無事に終えられたこと自体が幸運だった。しかも、旅の終わりでノースカロライナ州の田舎町にあるサイクリングクラブの会合に招待されたり、地元の新聞の記事になったりするというおまけまでついたのだった。

自転車で5,000km以上走ったと言うと、とても大変そうに聞こえるので、この旅について人に話すと驚かれたり関心されたりもするが、実際のところは若さゆえにある勢いと、十分な時間とそれなりの体力があれば、誰にでもチャレンジできる旅なのかもしれない。ただ、りお太郎にとって旅の前半、最初の2週間くらいはとてもつらいものがあった。しかし、この旅が思い出深いのは、やはりきつい思いをいっぱいしたからであり、特に旅の出発地だったカリフォルニア州と、その隣のアリゾナ州を走っている時のことは鮮明に憶えている。

W51308deathv06dd368 西からカリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコと、アメリカでも南部のエリアを自転車で旅をしていたのだが、これらのエリアは乾燥した砂漠地帯である。出発したのは5月だったが、その時期でも相当暑かった。自転車で走るのはつねに炎天下で、舗装された道路からの照り返しもきつかった。気がつくと、自分自身の汗が蒸発して、体中が塩をまぶされたように真っ白になっていた。あと、つねに大型のトラックが横を走りぬけ、排気ガスのせいで鼻の中はいつも真っ黒だった。クタクタになってキャンプ地に着き、ほとんど倒れるようにテントの中で寝入ってしまったりして、朝起きて寝袋の上で、自分が死体のように醜く、汚い姿でいることに愕然とした。

「1995年 夏のある日」

この旅で使っていたのは超テキトーなロードマップ。それを見ながら最短距離のルートを選びながら、かなりアバウトな感じで東に移動していた。しかし、いきなり大きな峠があらわれたり、地図上では表されていないが、道がクネクネ蛇行したりしていて、自転車に走りにくくて苦労したりした。出発してから1週間がたって、ようやくカリフォルニア州から、アリゾナ州に入れるというところまで来た。ここに、カリフォルニアの最後の町から、アリゾナの最初の町まで、なんと170kmもの無人地帯があった。その区間は、建造物はひとつもなく、日陰を作ってくれる木もまったく生えていないようなところだ。途中コンビニなんかがあるはずもないが、出発地から170km先にガソリンスタンドが一軒あるらしいということが地図で分かった。西海岸から東海岸まで全部で10の州を横断する予定でいたが、ここを通過すればそのひとつのカリフォルニア州はとりあえず終わるのだと思ったら気合が入った。

その日は4リットルくらい水を持って出発したが、灼熱の大地の直射日光により、あっという間に水はお湯になった。汗が乾いて体中が塩辛くなっている。そのまま、アスファルトの上で焼き魚のようにされてしまいそうだ。自転車にはテントや寝袋、コンロから炊事用具までいろんなものを積んでいるのでけっこう重い。少しばかりの登り坂でも、体が悲鳴をあげる。暑すぎて食欲は無くて、とにかく170km先のガソリンスタンドにたどり着くことしか頭にはない。必死になって自転車をこぎながら、考えていたのはガソリンスタンドで買えるであろう、アイスや冷たいジュースのことだった。砂漠の中のまっすぐの道は果てしなくて、まるでずっと同じところを走っているようだ。はるか彼方先まで同じ景色が広がっていて、一直線の道路以外もはなんにも見えない。目標物になるものは何もなかった。そして行く手にある道は蜃気楼のようになってかすんでいて、距離感さえ分からなくなるのだ。

W51308deathv30dd380 朝早く出発したのだが、、夕方になっても自転車をこぎ続けていた。自転車のスピードはかなり遅かった。食欲がでないから、エネルギー補給もままならず、いわゆるシャリバテのような状態だったのだろう。だけど意識だけははっきりとしていて、冷たいジュースとアイスという明確なゴールに向かって進んでいた。そして日が傾き、砂漠がオレンジに色づいてきた頃になって、ついに地平線の彼方に見えたものがあった。何時間も景色がほとんど変わらなかったから、ささいなものでも見逃さなかった。黒い四角いものと、その隣に棒のようなものが立っている。それがガソリンスタンドで、棒のように見えたのは“テキサコ”とういそのガソリンスタンドの看板だと気づくのに時間はかからなかった。地図どおり170km先にガソリンスタンドがあったのだ!走りきったという達成感と安堵感が、限界に近かった体に少し力を与えてくれたように思えた。ガソリンスタンドと、そこで手に入れることができる、太陽に照らされ続けた体を冷やしてくれるもののことで頭がいっぱいだったが、ガソリンスタンドに近づいていきながら、疲れきったりお太郎の目にさらに驚くべきものが写った。まったく予想していなかった景色が視界に飛び込んできたのだった。

ガソリンスタンドの先には、相変わらず一直線のまっすぐの道が続いていたが、そのむこうの地平線のかなたには緑の大地が見えたのだ。一瞬幻覚かと思ったが、幻なんかではなく、まるでオアシスのような場所が確かに広がっていた。ずっと赤茶けた渇いた土と灰色の道路しか見ていなかったせいか、それはあまりにも美しい景色だった。その緑の大地の中心には大河が悠々と流れていた。これがカリフォルニア州とアリゾナ州の境を流れるコロラド川とその流域周辺だったのだが、ボーっとした頭にはこの近隣エリアの地形を描くことは難しかった。

ガソリンスタンドでガソリン以外のものでエネルギーを補給したあと、りお太郎は快調に飛ばした。道がコロラド川までゆるい下り坂になっていたこともあるが、それより、弱気になっていたりお太郎のハートが強く鼓動をはじめたことで、元気がもどったのだ。りお太郎がそのとき見ていた景色は言葉ではあらわせないほど壮大な景色だった。ロッキー山脈から流れ出た大河は、いつかメキシコの海にそそぐ。そんなアメリカ大陸のスケールのデカさを肌で感じることができていた。コロラド川のむこうの大地は、ずっと地平線の果てまで永遠とつづいている。その大地がつきるまで、自分は行こうとしている。まだ見ぬ大西洋に到達するまでだ。そのとき、りお太郎は幸せな気持ちで一杯だった。大自然の真っただ中で、自分は懸命に生きているという実感がわいて鳥肌が立った。まだ旅は始めたばかりだったが、自分はこの旅をやり遂げられるだろうという根拠のない自信がわいてきた。

「その後は・・・」

アリゾナ州に入ってからも苦労の連続で、道路にアップダウンが多くて、毎日いくつもの峠を越えなくてはならず大変だった。でも、いつのまにかりお太郎の足はパワーアップしていた。自転車に乗ることが楽しいと思えるようにもなった。アリゾナの東部、ショウロウという町は忘れられない町のひとつで、ここではキャンプ場が見つけられなかったので、仕方なしに適当な場所で野宿しようと考えた。しかし、最後に寄ってみたキャンピングカー専用のキャンプ場(テント泊は禁止されている)の人が、汚い日本人なのにとても親切にしてくれて、最高に快適な芝生の上にテントを張らしてくれたのだった。キャンプ場代は当然のように無料だった。さらにディナーを振舞われたり、それまでの行程での苦労話しを半ば無理やりに披露させられたりした。そして、東海岸に無事到着したら、はがきを送ってくれと頼まれたことで、すごく勇気づけられた。これで途中、旅を断念してしまうことができなくなったと思った。ひとりぼっちの旅だったが、いろんなところで出会った人たちから支えてもらい、うれしさで涙を流すほうが、つらくて涙が出そうになることよりもずっと多かった。

ショウロウ周辺は見渡す限り牧場ばっかりなのだが、まっすぐにのびている一本の道を自転車で走っている時はすごく気持ちが良かった。何百頭という牛が、めずらしいものでも見るように、りお太郎を見ていた。そんな光景は一生忘れることはできないだろう。

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コメント

長いわ~。どうにかしてよ、この先生。
暖かくなったよ。走り行こうよ。

投稿: youzou | 2007年3月 6日 (火) 19時31分

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