« 青い瞳に伝えたかったこと  彼女の父親 | トップページ | 青い瞳に伝えたかったこと 長い補足 »

2008年2月26日 (火)

青い瞳に伝えたかったこと 第3話

アメリカのスクールバスをイメージできるだろうか?あの黄色いやつである。正面が日本のバスのようにのぺっとしていなくて、まるで鼻があるようなかたちのバスだ。

高校のときのことを思い出そうとすると、そのバスがいろいろなシーンに登場する。そして、オレゴンの景色と一緒に、友達たちの顔も思い浮かべることができる。りお太郎の記憶の中では、青い瞳の女の子の顔は、あの黄色バスの中で、彼女が窓の外を見ている姿が、いちばん鮮明に思い出すことができる。黄色いバスには愛着があったし、きっとバスの中では頻繁に彼女のことを見ていたのだろう。

りお太郎がこの高校に投獄されていた頃、自由時間というのは限られていたが、夕食の後はフリーで、その時間はいつもバスケをやっていた。いちおう中学はバスケ部だったが、万年補欠だったし、ましてアメリカ人は背が高いのでまともな勝負ができるはずがなかった。しかし例のマラソン熱のおかげか、りお太郎は高校のバスケのチーム内で、ある程度の地位を得る。リオは“ハード”なディフェンスをすると定評があった。とにかく持ち前の体力で、ウザいくらい執拗に相手をマークしていただけのことだ。リバンドやシュートといったバスケットボールの華やかな部分に関しては、ほとんどあきらめていた。

青い瞳の子も、バスケのチームに所属していた。りお太郎がバーシティ(1軍)のチームにやっと入れた頃、彼女はまだ1516歳くらいだったはずだ。上級生の子たちに練習では圧倒されていたが、すばしっこい彼女のプレースタイルには、輝くものがあった。ボールをスチールするテク、相手選手からボールをいつのまにか奪ってしまうところなんかがけっこう評価されていて、小さな彼女もバーシティ・チームのひとりだった。しかし、りお太郎も青い瞳の子もスターター、いわゆる先発にはなれないのである。どちらも試合の途中の限られた時間しかプレーできない選手なのだ。ふたりはなんとなく似たような境遇だった。

冬がアメリカのバスケのシーズンで、ホームに他校をむかえたり、逆によそに遠征したりするのだが、田舎の小さい町どうしの対抗試合なので、相手の学校まで3時間とか4時間くらいかけなくてはならない。移動手段はもちろん黄色いスクールバス。シートは中のスポンジがぬけてしまっていて、お尻が痛くなるシロモノである。しかも隙間風が寒くて全然快適ではない。しかし、りお太郎にとってその時間は以外に楽しいものだった。たいして試合に出られるわけでもないのでプレッシャーもなかったし、素敵な景色を見られる上に、いつも遠征は彼女と一緒だったのである。かといって別に隣に座ったりして、話をすることなどはなかった。スポーツ好きの、うるさいくらい元気な女の子たちに交じっておしゃべりするわけでもなく、青い瞳の子はいつも静かに窓の外を見ていたような気がする。りお太郎はそれを後ろの方の席から見ていた。

リオ。そう呼ばれてふりかえると彼女がいた。ここに座ってもいい?自分たちの試合が始まる前、ひとり観覧席で他の試合を見ていたときのことだ。そんな感じで彼女の方から声をかけてもらい、ふたりっきりで肩をならべて話をしたことがあった。遠征先でのことだ。りお太郎にとって予想外のことだったし、うれしかったが、試合よりも汗が出てしまうほど緊張感があった。しかし、この上ないチャンスだったはずだ。高校から遠く離れた場所でふたりっきりの時間。仲間たちはどっかに行ってしまっている。なによりも、とてつもなく大きな目の上のたんこぶ、彼女の父親のベアー先生もいなかった。あの時、思い切って気持ちを伝えればよかったのにと思う。

しかし、それはできなかった。

好きな人に対して、イングリッシュで心のうちを伝えることなど、まだ無理な話だった。まったく自信が無い男だったし、アメリカ人とつきあうということ自体が、何のとりえもない日本人には夢物語なのだと思っていた。少しの間だったが隣に彼女が座り、ちっとも話が盛り上がらないまま時間が経ち、いよいよ彼女の試合だということで、りお太郎のそばから離れるときのことだ。冗談っぽく、Score 20 for me! 僕のために20点決めてくれ、りお太郎はそう言うのが精一杯だった。その時は自分自身の不甲斐なさが悔しくて、目に涙が浮かんでいた気がする。ホントに無力だったが、せめて言葉ができたらなぁと思った。そんなことはおかまいなく、青い瞳の子はOKと言い残し、最後にとびきりの笑顔を見せてくれた。そのことは忘れられない思い出である。どちらかというと悲しい、悔しい思い出だけど。

りお太郎は青い瞳の子に出会えたおかげで、ランニングを続けることができた。朝の光を浴びながら、オレゴンの爽快な空気の中で走れたことは、体力がついたこと以上に、ずっと価値があることだった。そして、一生懸命に英語を勉強し、しっかりとコミュニケーションがとれるようになろうと、やみくもになって努力したのも、どこかであの子のことが頭にあったからかもしれない。

彼女の記憶に、地味な日本人のことなどが印象に残っているとは思えない。それでも、りお太郎はちっともかまわない。相手はどうであろうが、自分自身にとって人との出会いは大切な思い出で、それ自体がかけがえのない財産なのだから。

|

« 青い瞳に伝えたかったこと  彼女の父親 | トップページ | 青い瞳に伝えたかったこと 長い補足 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 青い瞳に伝えたかったこと  彼女の父親 | トップページ | 青い瞳に伝えたかったこと 長い補足 »