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2008年3月 2日 (日)

青い瞳に伝えたかったこと 長い補足

りお太郎は19歳のとき、フルマラソンに参加した。高校を辞める2ヶ月前のことである。

3年半通ったオレゴンの高校をちゃんと卒業するには、あともう2年くらいは必要だっただろう。ハタチになっても高校生ではいたくなかった。りお太郎の選択択には、もう大検を取得して、とっとと大学に進学するしかなかった。身近な先生もそれを勧めてくれていた。それは英語をなかなか身につけることができず、授業についていけなかったこと、また、その高校のカリキュラムに馴染めなかったことがあるが、ともかく自分自身の不甲斐なさが原因だった。

さて、オレゴン州最大の都市、ポートランドで毎年10月に開催される“ポートランドマラソン”は9,000人のランナーが走る大きなレースである。、高校にはマラソン好きの先生が何人かいて、校長先生や、料理長のトニー、親代わりの先生だったスコットの奥さんなどが、この大会に毎年のように出場していた。学生たちは無関心だったが、校長先生が参加するということもあり、これを学校への寄付を募る格好のイベントとして位置づけていたりした。学生たちは1キロに何ドルという約束をして、実際に先生が走った距離を寄付させられる。例えばトニーに2ドルを寄付をすることにすると、彼が42.195kmのフルマラソンを完走すると84ドルも取られる。これで先生たちはモチベーションを高めていたようだが、結果的に寄付したお金でトニーが作る食事の質が上がったり、目に見えて寄付したお金が有効的に使われもしないから、学生たちは冷ややかな目で見ていたものだった。

学生は誰一人と参加しないマラソン大会に、りお太郎は“走りたい”と言い出した。高校を辞めて、コロラド州の短大に進学することがちょうど決まった頃で、せめて最後に自分自身が満足できることを、ひとつでもやり遂げてみたかった。ずっとジョギングを続けていたから、フルマラソンを完走できる自信はあった。何もかも中途半端だったりお太郎にとって、自信をひとつでも持てるきっかけがほしかったのである。

初めて学生のひとりが一緒に走ることになり、いつもお祭り気分だった先生たちは色めきたった。校長先生は50歳の手前くらいだったが、エネルギッシュなことで学生から支持されており、マラソン初挑戦者などに負けることはできない。自称マラソン・マンと言っているトニーは、日本人の若造め、と闘志をむき出しにするものだから、仲間たちはリオが先生たちとどれだけ競い合えるかを少しばかり注目したのだった。

先生たちの中で、りお太郎が最も親しかったのはスコットという先生だったが、その奥さんはめちゃめちゃ元気な人だった。スコット先生は亭主関白ではなく、尻にしかれていた方だったと思うが、奥さんは毎年ポートランドマラソンを完走していた。それが、リオも走るということになったら、スコットは奥さんより、なぜか僕の方をひいきにしてくれた。You can beat her, Rio! おまえは勝てる、とか言ってくれて、わざわざ高校のロゴが入ったタンクトップを用意してくれた。ダサいなぁと思ったが、スコットにしてみれば、いつも目にかけている学生の方が、奥さんが得意としているマラソンで勝ってくれたら、優越感を感じられて気持ちが良かったのかもしれない。

まるで陸上の代表選手みたいなウェアをもらったことは、りお太郎にとって恥ずかしいことではあったが、ちょっとだけ嬉しかった。勉強においても、スポーツにおいても、また私生活においても、まったく冴えない男だった自分が、いちおう学校の看板を背負うようなかたちになったのである。朝走っているところを、窓から見ていてくれた青い瞳の子に、そのシャツを見せたいと心の中で思ってしまい、よけいに恥ずかしくなった。

初めてのフルマラソンは、さすがにきつかった。ゴールはとにかく遠い。スタートからすぐに先に行ってしまった先生たちよりも、ずっと後ろの方でマイペースで走った。途中で校長とトニーとすれ違ったが、ふたりともすこぶる調子が悪そうだった。体調が芳しくなかったようで、結局リタイヤしてしまう。逆にりお太郎は快調になってきて、スコットの奥さんも20kmくらいのあたりで抜いた。ポートランドでいちばん大きな橋、セイント・ジョン・ブリッジまでの登り坂がきつかったが、橋の上から見た山々と町並の美しさに感動した。そこでもう一度力を振り絞り、気合を入れ直して走ったが、残りの10kmはペースダウンしてしまった。もう立ち止まってしまうか歩き出したくなったが、なんとか最後まで気力で走った。

無我夢中で走りながら、朦朧とする頭の中で思い出がかけ巡っていた。

朝、校門から続く登り坂の上で彼女と会って、声をかけてもらった。それによって、どれだけ自分は元気付けられただろうか。正直なところアメリカでの生活は寂しかった。言葉が違うことによって、なにもかもが別世界にいるような気分で、いつも落ち着かず不安なことばかりだった。そんなとき、あの子は自分の存在に気づいてくれた。実力社会のアメリカにおいて、自分はなんの評価にも値しない人間で、まさに落ちこぼれだと感じていた。英語が全然分からずに下ばかり向いていたけれど、彼女にはほんの少しかもしれないが、認めてもらえたのかもしれなかった。その彼女に、面とむかって自分の気持ちを伝えることはできなかった。でも、リオという人間のことを、青い瞳の子の記憶にとどめることができないだろうか?

ボロボロになりながら、ラストスパートをかけてゴールまで懸命に走った。そんな姿を彼女は見ていない。それは、あたりまえのように分かっていたが、それでも必死になって走らずにはいられなかったのである。このマラソンがずっと毎朝あの子のことを思いながら走ってきたことの集大成のような気がしていた。

さて、いい加減この長い思い出話を終わりにします。青い瞳の子には結局告白などすることはできませんでした。でも、実は彼女は多分僕の気持ちを知っていました。彼女の親友のひとり(注:とてもおしゃべりな子)に、リオの好みの女性はどんな人かと聞かれたことがありました。それは難しい、とかなんとか言い逃れをしようとしましたが、まったく許してくれなかったので、ついにあの子の名前を出してしまったのです。そして、さんざん冷やかされた後、Why her? なんで?と問い詰められました。僕の答えは、Because, she's got beautiful eyes. とてもきれいな目をしているから、というものだったはずです。

りお太郎は先生たちの誰よりも早いタイムでゴールしたので、校長先生をはじめ、みんな面目まるつぶれでした。そこで、何よりも嬉しかったのは、あの怖いベアー先生から、Hey, you! Marathon man! おい、おまえ!マラソン・マンと親しみをこめて呼んでもらえるようになったことでした。

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コメント

万里の長城マラソンへようこそ!

はじめまして、
第7回万里の長城マラソンへようこそ!
コース:5km/10km/ハーフ/10kmウオーキング
開催地:2008年五輪大会の中国北京
開催日:2008年5月1日(GW中)。

☆資料請求はこちら
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よろしくお願い致します。
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万里の長城マラソン責任者
     朱 貴華
greatwallmarathon_japan@yahoo.co.jp
日本語協力WEBサイト:http://www.greatwallmarathon.jp
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投稿: 万里の長城マラソン | 2008年3月 2日 (日) 21時40分

密かにもっと長いのを期待してたのに(笑)
実は結構読んでますよ僕・・・

投稿: yuto | 2008年3月 3日 (月) 00時17分

いやいや長すぎでしょ(笑)

投稿: migu | 2008年3月 6日 (木) 16時40分

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