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2009年4月 6日 (月)

(前回の続き) 富士山に感謝するとき

海外旅行に行くと、日本と違う景色は新鮮だし、町並みや自然がとても美しく見える。日本の典型的な都会の風景などと比較して、海外が羨ましくなることもあるだろう。しかし、何年か海外に滞在していると、日本的な景色が恋しくなるときは、日本人ならば誰にでもあると思う。富士山がある風景というのは、まるでパンフレットの表紙、あるいは銭湯の壁みたいで、俗っぽい気がするが、それが間違いなく日本らしい景色のひとつだということには変わりない。

アメリカから4年ぶりくらいに一時帰国した際、りお太郎は飛行機の窓から見えた富士山に、いたく感動した。一定の期間、遠いところにいると、離れてしまっている間に自分の知っている日本が無くなってしまうこと、もしくは風景がまるっきり変わってしまうことを妄想するのである。現実では、もちろん日本が無くなるはずがないし、わずか数年でそんなに大きな変化があるわけでもない。しかし、それを頭で分かっていても、やたら不安になって日本の存在を遠く感じてしまうのだ。広い太平洋を飛んできて、地平線の上に富士山が現れたとき、にわかにそれが信じられなかった。ホントに不思議な気分だったが、沈む夕日をバックに、あの独特のシルエットが明らかに富士山以外のなにものでもないことに気付いたとき、日本が無くなっていなかったことで、嬉しさと安堵感がこみあげてきたのだった。

ひとりでボロボロ泣きながら、窓に顔を押し当て食い入るように、外を眺めている姿は、まるで異常者のようだが、ある意味そのとおりで、精神的に不安定、なおかつ異常なくらいホームシックにかかっているわけで、重症な病人とも言えた。しかし、そのとき、まだ日本に到着する前から、やたら満足することができて、これからも海外で頑張ってみようと決心を固めることもできたのだった。富士山によって、励まされ、勇気づけられ、日本にいなくても俺は大丈夫、なんとかやっていけるに違いないと確信が持てた。なによりも、富士山のように3776(みななろう)という標高3776mの山の尊き教えを思い返すことができた。

静岡の出張で、別に期待していたわけでもなかったが、眼前に富士山がひろがり、その姿は紛れもなく、りお太郎が愛してやまない、素晴らしき日本の山そのものだった。そして、いろいろあるにせよ、まだまだ頑張っていかなくてはならないと、自分自身を励ますことにもつながる結果となった。これから歳をかさねていっても、繰り返し富士山に励まされながら生きていくことになりそうな予感がしている。

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2009年4月 1日 (水)

りお太郎の、富士山への想い

この間、仕事で静岡に行ってきた時のことだ。新幹線から窓の外を眺めていると、茶畑のむこうに富士山が見えた。乗り心地が良い席で、ボーッとしながらふんぞり返っていたのだが、雪を半分まとった美しい富士山が現れたことで、寝ぼけていた目が覚めたのだった。 

富士山の姿に、思わず背筋を伸ばして見入ってしまう自分は、やはり山が好きなのだと思う。そして、山にむかって心の中で話しかけていたりする自分自身に気付くと、山好きどころか、山キチガイなのだなと感じてしまう。これから、どうしたら良いのでしょうかね?富士山なら、そんな問いに何かしらの答えを持っていそうな気がしてしまうほど、日本一の山は偉大なオーラに包まれている。 

さて、静岡とはまるっきり反対にある、裏日本、新潟に住んでいる自分には決して身近な山とは言えないが、登山をやっていれば、山の上から富士山を探してしまうのは、ごく自然なことだ。最近は、南アルプスや八ヶ岳に登ったが、天候が良かったので、富士山は圧倒的な存在感を持って聳え立っていた。遠く離れた新潟県にいても、富士山が望めることは度々あり、妙高山の山頂に立った際に、地平線の上に頭が出ていたことが数回ある。そんなときは、ラッキーだなと思うし、日本に富士山があって良かったなと感謝したくなるのである。 

登山とは関係ない話になるが、富士山の姿を見て、感動して涙したときのことを思い出したので、それについて書きたい。随分と前、飛行機の機内から富士山を見つけたことがあった。アメリカから成田にむかう便は、今も昔もそうなのだけど、だいたいアメリカを午前中に出発し、日付変更線をまたいで日本の夕方に着くことになっている。10時間オーバーのフライトなので、せまいエコノミークラスで楽しい時間を過ごすことは困難だ。しかし、自分が何年か海外に滞在した後に、日本に一時的ではあるにせよ、帰国の途にあるフライトであれば、少しばかり窮屈であっても、浮き浮きした気持ちになれるに違いない。長い道のりも、その先に故郷が待っているのであれば、苦にならない。まさに、自分自身がそんな状況にあったときのことだ。まだ10代の頃の話である。(次回に続く)

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