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2009年4月 1日 (水)

りお太郎の、富士山への想い

この間、仕事で静岡に行ってきた時のことだ。新幹線から窓の外を眺めていると、茶畑のむこうに富士山が見えた。乗り心地が良い席で、ボーッとしながらふんぞり返っていたのだが、雪を半分まとった美しい富士山が現れたことで、寝ぼけていた目が覚めたのだった。 

富士山の姿に、思わず背筋を伸ばして見入ってしまう自分は、やはり山が好きなのだと思う。そして、山にむかって心の中で話しかけていたりする自分自身に気付くと、山好きどころか、山キチガイなのだなと感じてしまう。これから、どうしたら良いのでしょうかね?富士山なら、そんな問いに何かしらの答えを持っていそうな気がしてしまうほど、日本一の山は偉大なオーラに包まれている。 

さて、静岡とはまるっきり反対にある、裏日本、新潟に住んでいる自分には決して身近な山とは言えないが、登山をやっていれば、山の上から富士山を探してしまうのは、ごく自然なことだ。最近は、南アルプスや八ヶ岳に登ったが、天候が良かったので、富士山は圧倒的な存在感を持って聳え立っていた。遠く離れた新潟県にいても、富士山が望めることは度々あり、妙高山の山頂に立った際に、地平線の上に頭が出ていたことが数回ある。そんなときは、ラッキーだなと思うし、日本に富士山があって良かったなと感謝したくなるのである。 

登山とは関係ない話になるが、富士山の姿を見て、感動して涙したときのことを思い出したので、それについて書きたい。随分と前、飛行機の機内から富士山を見つけたことがあった。アメリカから成田にむかう便は、今も昔もそうなのだけど、だいたいアメリカを午前中に出発し、日付変更線をまたいで日本の夕方に着くことになっている。10時間オーバーのフライトなので、せまいエコノミークラスで楽しい時間を過ごすことは困難だ。しかし、自分が何年か海外に滞在した後に、日本に一時的ではあるにせよ、帰国の途にあるフライトであれば、少しばかり窮屈であっても、浮き浮きした気持ちになれるに違いない。長い道のりも、その先に故郷が待っているのであれば、苦にならない。まさに、自分自身がそんな状況にあったときのことだ。まだ10代の頃の話である。(次回に続く)

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