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2009年7月13日 (月)

りお太郎の転機となった出来事 ①

今から11年前、1998年は自分にとって転機となった年だった。大学の4年生だったので、いちおう卒業にむけて、就職活動らしいことを行い、アメリカの大学の年度末にあたる5月までに進路を決めていた。

コロラド州の山奥に4年間住んだので、大学を卒業したらちょっとした都会で暮らしてみるのも悪くないと思っていた。そんなりお太郎が、アメリカで一番馴染みのあるオレゴン州のポートランドで仕事を見つけることができたのは幸運だったといえる。

就職活動にあたっては、他のアメリカ学生を差し置いて、わざわざ自分を雇ってくれる企業があるとは到底思えなかったが、もし自分にチャンスがあるとしたら、それは日本人で日本語を話せるという優位性を活かすしかないと気がついたのである。大学の先生からも、外国人学生に就労ビザが発行されるように、手続きと手間をかけてくれる企業は極めて少ないだろうから、就職先は日系企業に絞った方が良いと言われたことを記憶している。

ポートランドは当時、アメリカ西海岸において日本人に人気がある町だった。あまりにも定番化していたロスやサンフランシスコに飽きた人が、アメリカ北西部のシアトルやオレゴンを訪れはじめており、特にオレゴン州のポートランドは物価が安い地方都市なのにくわえて消費税がないことと、人気スポーツブランドのナイキやコロンビアの本社があるため、日本人好みのショップが多くあったのである。

そのポートランドにある観光地のひとつがOMSI(Oregon Museum of Science and Industry)という科学博物館で、そこではアメリカ産業に関連した展示物があり、例えば本物の潜水艦の中に入れたり、デカいプラネタリウムとかがあり、その他にも多くのイベントが開催される場所だ。日本のガイドブックにも小さく紹介されているようなところなので、りお太郎は日本人観光客の対応なら、パーフェクトにできますよ、と履歴書を送りつけたところ、5月からすぐに研修生としてウチに来なさいと、OMSI側から連絡があった。研修期間で仕事ができそうだと分かれば、正社員として雇い入れるつもりだという通達で、正社員としての給与や待遇まできちんと載っているような書類がゴソっと入った封筒が届いたのだった。

大学の先生は信じられないという顔で、これはワンダフルだ。リオはラッキーだ。などと言って喜んでくれたし、就職が決まらない仲間たちは、オーマイガッ!と頭をかかえて悔しそうにしているので、りお太郎はすぐにその気になった。高校からアメリカに8年も滞在し、とても自慢できるような成績ではなかったが、なんとか大学を卒業できそうだし、語学力に関しては全然頼りない自分ではあったが、とにかくアメリカで仕事が手に入りそうなのだ。おれ、がんばったな~と少しばかり誇らしい気分に浸ることができた。しかし、この先にはものスゴイ出来事が待っていることを、りお太郎は予測することすらできなかった。1998年はとにかく長い長い1年になるのだった。

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