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2010年9月29日 (水)

進学先は、“大自然の中にある大学。”

りお太郎が3年半過ごしたオレゴンの高校を中退したのは12月で、その年が明けてすぐ1月からは、コロラド州のコロラド・マウンテン・カレッジ(CMC)に入学し、晴れて大学生活をスタートさせることになった。アメリカの学校での年度始め、日本で言えば4月にあたるのが9月なので、1月入学というのはかなり中途半端になりがちで、他の大学ならば違うのかもしれないが、CMCの場合は入学式などあるわけでなく、学校に着いたら、すぐに諸手続きを済ませて、授業を受けることになっていた。今まで行ったこともない未知の土地で、頼りない留学生の自分が大学生として果たしてやっていけるのか、そんな不安でいっぱいだったことは憶えている。

CMCのメインキャンパスがあるのは、ロッキー山脈のド真ん中にあるLeadville(レッドビル)という町で、標高が3,000mあり、アメリカで最も標高の高い市となっている。4,000mオーバーの高峰にかこまれていて、あたりまえのことだが、冬は寒くて雪が多い。りお太郎はその場所に、コロラドで最も過酷な時期といえる1月にいきなり乗り込んでいった。オレゴンから長い長い道のりをこえて、いくつもの峠を登っては下り、最後に一番大きな峠を登りきって、やっとたどり着いた場所がレッドビルだったわけだが、大学生として晴れやかな気持ちで、これから新しい生活を送ろうとしている町は、完全に雪に埋もれていた。それはそれは、すさまじいほどだった。実際、四輪駆動でない、りお太郎の車では、レッドビルまで来るのは容易なことでなく、半ばあきらめそうになりつつも、新入生が大学の授業に最初から遅れてしまってはマズいだろうと、ぎりぎりのところで思いとどまり、なんとか雪をかきわけやってきたのだった。こんな山奥に、果たして人が住んでいるのだろうか?こんな辺境に、大学なんてあるのだろうか?全く信じられない思いだった。でも、レッドビルの人口約4万人は、たくましく生きていた。そして、確かにあったのである。こんなところにも、大学があった。そこは、物好きな連中ばかりが集まる大学で、りお太郎もそういった学生のひとりとして加わることになったのだった。

高校で進路を決められないでいるとき、たくさんの大学のパンフレットを取り寄せたが、CMCのパンフからは、肝心のカリキュラムのこととかは良く分からなかったが、特徴的な点が多い大学であることは分かった。キャンパスの通称はtimberline campusと言い、直訳すると“森林限界キャンパス”と言うのである。ロッキー山脈の高地、まさに大自然の中にある大学で、スキーとか環境保全を専攻して学べるところなんかは珍しいなぁと思ったが、特に惹かれたのは、なんといっても“アウトドア・レクリエーション”専攻だった。専門科目はというと、バックパッキング、カヌー、XCスキー、渓谷での活動、砂漠での活動、etc. これは授業なのかな?と首をかしげてしまうくらいで、他のフツーの大学では、絶対にできない経験ができそうだということを感じ取ることができた。高校在学中、グランドキャニオンなどの国立公園を訪れたり、山登りなんかにも行っていたりお太郎にとって、冒険心を刺激される内容ばかりなので、CMCのパンフレットの写真を食い入るように見入っていたら、他の大学のパンフレットなど、全く見る気が失せてしまうほどだった。

りお太郎はパンフレットの写真から、ものすごく憧れを抱いていた大学にやっとのことで到着することができた。しかし、パンフレットでは、バランスよく四季折々の自然が紹介されていて、冬の様子ばかりを強調していなかったせいか、自分が想像していたものとはかけ離れていて、たしかに大自然には違いないけれど、1月のCMCは一面真っ白過ぎて味気なく、真面目な話、閉鎖されていないのが不思議なくらいの大学であった。そして、大学の校舎と呼ぶには、あまりにも小じんまりとしていて、厳しい自然環境の中にあるのに、安っぽいプレハブみたいのがポツンポツンと建っているだけなので、最初はそこが校舎なのか、それとも学生が住んでいる寮なのかさえ判別できず、半分以上が雪の下に隠れてしまっている建造物からは、南極の昭和基地を思い浮かべずにはいられなかった。実際、りお太郎はもっと大きな校舎がどこかにあるのだと思い込み、探し回ったあげく、結局最初に見つけた昭和基地チックな建物が、各オフィスと教室とかが入っている一番中心的な校舎だと知って驚き、さらに、何十年も前から廃屋となっているようにみえた木造の建物が、実はバリバリ利用されている学生寮だと分かって愕然としたのだった。ちなみにその寮に、りお太郎も住むことになったのだが、卒業するのとほぼ同じタイミングでそこは取り壊されてしまったので、“歴史的”な建造物を住居とした最後の学生になれたことは幸運だったとも言える。

どこにいくにも、車がスタックしてしまうことに怯えた。そして、少し気を抜くと車は完全に雪の下に埋まることになり、発見までは春を待たなくてはならない。また、徒歩で出かける際などは、防寒着着用のうえ、ひざのあたりまでかくれるブーツを履かなくてはならず、帽子や手袋をしないで外に出てしまったならば、命が危険にさらされるような世界であった。これはスゴイとこに来てしまったな、と、途方にくれるとともに、自分自身が決めたことによって、気がつくと思いもよらない展開になっていることにただ驚かされた。

しかしながら、コロラド・マウンテン・カレッジでの2年間は、りお太郎がその後どのような生き方をしていくか、方向性を定めていく時期となり、この大学へ進学したことは、間違いなく人生において重要な分岐点のひとつであったのだろう。りお太郎は、この大学で出会った仲間から、大きな影響力をもらうことになるのである。(続く)

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2010年9月16日 (木)

再出発のとき。りお太郎は、やっと歩きだすことができた。

このブログの更新は1年ぶりになります。

前に書いた記事を読み返すと、なんだかとても懐かしい感じ。

昨年の9月から1年のあいだ、自分にはいろいろのことがあった。

長い間過ごした妙高と、国際自然環境アウトドア専門学校から今は離れてしまっている。

このブログでは、言ってみればi-nacでの日々を書き綴ってきたわけで、まさかこんなに急展開で、全く別の環境に移ることになるとは想像していなかった。今年の3月下旬に転居を終え、4月からは新しい職場でスタートをきった。そして、仕事にあたふたしながら、数ヶ月があっというまに過ぎ、この時期になって気持ちも落ち着いてきたので、ブログを再開することにしたのである。

これから、i-nacの立ち上げ当時のことや、今年の3月にi-nacの担任として受け持った最後の学生たちと一緒に卒業するまでのことを、いろいろとブログで書いていこうと思う。そして、まだモヤモヤはありながらも、今後の夢や、その目標達成にむけての挑戦について、今現在の自身の胸のうちをブログで書き出していきたい。

i-nacの日々は、かけがえのない貴重な経験であり、それをじっくりふりかえることによって、これからの人生の糧にできるはずである。

この8年間には、語りつくせないほどの思い出が詰まっており、りお太郎しか体験できなかった、エキサイティングでドラマチック、そして特殊な時間であったことは間違いない。

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