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2011年10月 9日 (日)

山が教えてくれたこと。

最近はただただ平凡で、エネルギーを吐き出すようなこともなく、なんか息苦しい毎日が続いていたけれど、専門学校のときの学生と一緒に山に行ったことで、純粋な情熱を少し分けてもらえた気がしていた。

 

そして今日、発売されたばかりの「岳」15巻を読んだら、たいしたことないくせにふさぎこんでいた自分が情けなくて、もっと上を向かなくてはならないと思ったのだった。この三歩のセリフには、ジョージ・マロリーの「そこに山があるから・・・」くらいに重みを感じた。

 

「登れる、登れないは分からない。やるまで分からない。

 だから・・・ オレは“やる”を選ぶ。

 後のことは山が教えてくれるんだ。」

 

アメリカにいるとき、自分には何もなくて、どうしていいのか分からなくて不安で不安で仕方なかったけれど、山登りだけは確かなことのように感じることができた。

 

地図を眺めていると、行ってみたいな、と思う山はいくらでもあった。ザックに装備と食料を入れたら、大学の授業のことなんか忘れて、ひとりで山に入っていった。

 

頂上にたどり着けることもあれば、やっつけられて帰ってくることもたくさんあったけど、岩でゴツゴツしたコロラドの4000mを超える山たちは、自分自身にとって最高のフィールドであり、いろんなことを教えてくれる良い学校だった。

 

毎週のように山に登り、それが何になるのか、将来につながる何かがあるのか、全く想像さえできなかったけれど、山と向き合うことが楽しくて、それが生きがいだったし、そのときの自分が選んだ最良の選択肢が、青春を山に賭けることだったわけで、それは間違っていなかったと自信を持って言える。

 

山が教えてくれたことは・・・

登れる、登れないかは分からない。それでもやってみること。

できる、できないかは分からない。それでもやってみること。

それによって、きっと成長できるのだから、やってみるしかない。

 

それは登山を通して、自分が得た信念だったはずなのに、最近忘れていたようだ。

 

大学卒業後、どうなるかはわからんけれど、南米に半年旅に出てみようと決めた。

そしたら新しい世界が広がったし、エクアドルのチンボラッソの頂上にひとりで立つことができた。

 

日本に戻って、朝も夜もアルバイトに明け暮れていたとき、アラスカのマッキンリーに行かないかと誘われて行ってみた。それで高山病であやうく死にかけっちゃったけど、命を救ってもらった大切な仲間を得ることができたし、山登り以外の新しい人生の再スタートも切ることができた。

 

専門学校で学生を山に連れていくときは、登れるか、登れないかは分からない。その際どいところを基準にして、たくさんの山に一緒に出かけて、たくさんの感動を共有することができた。それは山が与えてくれた素晴らしいプレゼントだったし、人生の糧となっている。

 

今、仕事をしながら、ここにいれば一生安定、安心なのだからと、自分に言い聞かせることがある。それは登れるか、登れないか、みたいなこととは明らかに違う気がする。ちゃんと胸をはって、結果がどうあれ、やる!と思えるような仕事がしたい。それを早く見つけることが今の課題。

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コメント

はじめまして、 昨年末まで東京の自動車メーカーで海外営業をしておりましたが、 退職し私の生まれの岐阜県中津川市に戻り、 カヤックで自然を体験する教室をゴールデンウイークから開校しました。 カヤックに乗りながら自然の風・波・季節の動植物と触れ合い、 大人から子供までが参加できるような教室にしていこうと思います。 また、環境保全にも取り組むような教室にしようと思っています。 是非、これからいろいろ交流させて頂きたくご依頼申し上げます。 宜しくお願い申し上げます。

kayak fb: https://m.facebook.com/kayakuniv

投稿: 伊藤来 | 2013年12月 2日 (月) 16時13分

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