2008年4月20日 (日)

4,000m峰の上で、ひとりぼっち

前回はコロラド州にあるブエナ・ビスタという町について紹介した。ブエナ・ビスタは文字どおり高い山々が目の前にひろがり、素晴らしく景色が良いところだ。町の正面にはひときわ目立つ山が聳えていて“Mt.プリンストン”と言う名前がついている。そして隣にはコロラド州第3位の高峰“Mt.ハーバード”があって、他に“Mt.オクスフォード”、“Mt.エール”、“Mt.コロンビア”と続いている。これらの山々の名前に共通点があることにお気づきだろうか?

すべてアメリカにおける有名大学(歴史の古い)から名前がつけられているのである。別に初登者が、大学生たちだったわけではないが、権威ある大学の名前をそのまま使うことで、敬意を表しているということだ。サワッチ山脈の中で、“コレジエートCollegeate Peaks=大学の峰々”と呼ばれていて、夏は比較的登山者が多い。これらの山々には、りお太郎は厳冬期に登った。

サワッチ山脈には鉱山の跡があり、当時に掘られた穴やログハウスの廃墟とかを山の奥で見ることができる。夏山ならば、ちょっとした観光気分でそれらを探検する気になるのだが、積雪期だと半ば埋もれている状態で、とにかく寂しいかぎりなのだ。コレジエートの山々はバックカントリースキーなどで滑る斜面に恵まれているわけでもないので、登山者はほとんどいない。りお太郎はそんな中、いつもひとりで山に入っていた。コロラドに来て、山に目覚めて、登山は新鮮なことばかりだったので、冒険心に溢れていた時期だ。今思い出すと、随分無茶なことをしていた、っていうか、おバカさんだったなぁと感じる。

冬山装備をがっつり背中に担ぎ、だいたい3日分くらいの食料を持ってサワッチ山脈の4,000m峰に挑んでいた。持っていた装備が安物ばかりだったこともあるが、今よりも寝袋やテントは重くて、かさばるシロモノだった。そこで、りお太郎は軽量化を図り、テントを持たない作戦に出ることもあった。冬山なので雪の中で寝ようと考えたのだ。いわゆる“植村直己”式で、雪洞泊というやり方だ。実際にその作戦で成功したこともあった。しかし、ある程度の標高があると、雪洞を掘ることは極めて難しい作業だということを気づかされるのだった。

だいたい、一日中行動して、夕方くらいになってから硬くなった雪で雪洞を作ることなど、この上なく面倒くさいことだ。しかも、りお太郎はいつもひとりぼっちで、協力してくれる仲間はいない。しかし、テントを持たないから、なんとか寝床だけは確保しなくてはならない。そこでりお太郎がとった行動は、鉱山跡の廃墟を活用することだった。もう暗くなりはじめた頃に、何十年も前に閉鎖されて、もう崩れかけているような建物にズカズカと入っていき、比較的雪が降り込んでこなくて、風も当たらないような場所に寝袋をひろげて寝てしまうのである。ひとりぼっちで廃墟に泊る。しかも標高4,000m近い山奥で、真冬なのだ。とても尋常な人間の行動だとは思えない。しかし、りお太郎はそんな無茶苦茶な登山がけっこう楽しかった。

さらに、りお太郎は行動中、完全に夜をむかえてしまうことがあった。これは、絶対に登頂してやると頑固になり過ぎて、引き返せずに無理なアタックをしかけたことが原因なのだが、4,400mくらいの頂上で日没になるという、ありえない状況になったこともある。今は随分と慎重になったので、こんなバカげた行動をとることはないが、当時は引き際の悪い男で、やみくもに突っ込んでばかりいた。しかし、そんなときも意外と落ち着いたもので、パニックになってしまうことは一度もなかった。

サワッチ山脈で3,000mを超えると森林限界なので、身を隠せるような樹木はない。頂上付近は風で雪はとばされていて、雪洞を掘ることもほぼ不可能に近い。しかし、だいたいそういった場所はガレ場で、バスケットボールサイズの岩がゴロゴロしている。りお太郎は岩を積み上げて風除けを作り、いつも廃墟の中とかで寝袋の下に敷いているブルーシートにくるまり、飛ばされないように岩で重石にしてから寝袋に入ったのだった。そんな状態のときは、さすがに自分自身に呆れてしまい、危なかっしいなぁと反省もしたが、そんな登山も、あの頃りお太郎は大好きだったのである。

風がびゅんびゅん吹き、気温が低い上に空気も薄い。ブルーシートは結露して、寝袋を濡らしはじめる。まず、寝られるわけがない。今でも決して忘れることができないのは、そんな中、ブルーシートの下から、ブエナ・ビスタの町の灯りを見たことだ。小さい町なので、その灯りはとても頼りないものだったが、りお太郎を励ましてくれるには十分だった。あそこにいる人たちはまさか冬に、こんな場所にこんな状態で、横になっているおバカさんがいるとは、夢にも思わないだろうなぁ。それに、こんなシチュエーションで、ブエア・ビスタを山の上から見下ろしていた人間も、今まで絶対にいなかったろうなぁ。なぜか変な優越感があり、ちょっと元気が湧いてきたりして、長い夜を乗り越えることができるのだった。

あれと同じことをもう一度やりなさい、ってもし言われても、楽しむことができる自信がないなぁ~。

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2008年4月 1日 (火)

ブエナ・ビスタ(良い景色)という名前の町

学生と一緒に八ヶ岳に行ってきた。冬のバリエーションルートのひとつである阿弥陀岳北稜の登攀をリベンジするためだったが、りお太郎はまたしても登れずじまいに終わった。天候が悪い中でも、学生ふたりは無事登頂したが、りお太郎は体調が悪かったので断念せざるをえなかった。阿弥陀岳の下にある行者小屋のトイレで、もがき苦しみ、熱っぽい体でフラつきながら下山した。山で風邪気味、しかも下痢となってしまえばもう成す術が無い。

さて、汚い話はやめにして、また海外のお気に入りの場所をひとつ紹介することにする。アメリカのコロラド州にブエナ・ビスタという町がある。スペイン語で“良い(気持ちの良い、楽しい)景色”という意味で、ロッキー山脈のド真ん中にあり、4,000mを越えるピークの麓にある、ホントに景色の良い町である。

最近、りお太郎が洋書のガイドブックを見たり、インターネットで情報収集しているとき、たまたまこのブエナ・ビスタの名前がつづけて出てきた。それは、新しいクライミングエリアということで紹介されていたのと、2005年度にアメリカ人が選んだ最も素晴らしい町“New American Dream Town”に選出されたというものだった。りお太郎はブエナ・ビスタから1時間とかからないところに2年間住んでいたことがあるので、この町のことなら良く知っているつもりだ。

1713 まず、コロラドの山岳地域にあって、標高が2,400mなのに、ブエナ・ビスタは比較的温暖な気候である。日本海側の新潟より、信州の方、たとえば佐久や軽井沢などは雪も少なく晴天率が高いように、ブエナ・ビスタ周辺でも、山の反対側は雪が降っているのに、町がある大きな谷の方は晴れていることが多い。この町は現在、アウトドアを中心とした観光業が発達しているが、もともとは鉱山のよって栄えた。気候が良いだけでなく、治安が良くて、物価も都市よりは安いから、住みやすい町に違いない。しかし、あらためて人口を調べてみると、2000年のデータでたった2,200人ということだった。

町の中心を流れるアーカンソー川でのラフティングとカヤックは有名だし、近隣の川と湖はフライフィッシング・バスフィッシングのフィールドになっている。マウンテンバイク、オフロード車のためのトレイルは無限にあり、そしてなによりもサワッチ山脈というロッキー山脈の中で、最も標高の高い峰々がすぐ目の前にに広がっているのである。登山やバックパッキングを行う基点として、ブエナ・ビスタの町は最高の環境にあるのだ。さらにクライミング・ボルダリングのエリアが開拓され始めているようなので、もうこれ以上ないくらいのアウトドア天国になっているに違いない。

22093 りお太郎が大学在学中、野外活動系の授業でブエナ・ビスタを訪問する機会はけっこう多くて、特にアーカンソー・リバーは初めてカヤックで下った川として思い出深い。しかし、りお太郎はやはり山が一番好きだった。(もちろん今も変わらず好きですよ)ブエナ・ビスタ周辺の4,000m峰は、本格的に登山をはじめてまだ間もない頃に挑んだ山々なのである。けっこう無茶をした場所でもあり、厳冬期なのに単独行でいくつかのピークを登頂していて、ハラハラした記憶とともに、スゴく思い入れがある。

そんな山の思い出を次回紹介します。

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2008年3月25日 (火)

マウント・レモンはクライマーズ ヘヴィン(天国)

先日、群馬のウォールストリートというクライミングジムに行った。ボルダリングの大会に参加するためである。当然、学生たちが大会に出場しているわけだが、今回は無理して自分も出場したのだった。いちおう大会の2、3日前に少しばかり練習したが、半年くらいもクライミングをやっていなかった。りお太郎としては、大会を楽しむことができて、なおかつ自分が納得できるくらい登れたら良いのになぁと安易に考えていたが、自分が参加した“ミドルクラス”というカテゴリーの中で最下位のビリッけつという結果だった。ヒーヒー言いながらほとんど登れず、まったく満足できずに終わってしまったことは残念だった。

フリークライミングを初めて体験したのは、19歳のときだった。それまでにヨセミテ国立公園やグランド・ティートン、ダイアモンドフェース(ロングスピーク)といった、アメリカを代表するようなクライミングエリアをすでに訪れていたが、いつもひとりきりだったことと、クライミングはオッカナソウだったので、トライできずにいた。

2その後、大学でアウトドアを専攻したことで、クライミングが授業科目として入り、本格的にフリークライミングというスポーツに触れる機会を持つことができた。大学入学したばかりの頃、すぐに長期の実習があり、いきなり1週間の合宿形式でクライミングをやることになったのである。そして、そのときに訪れた場所が、アリゾナ州の南部にある“マウント・レモン”だった。

1サンタ・カタリーナ山脈に属する3,000mにも満たない山のひとつだが、りお太郎が初めてマウント・レモンを目にした時の驚きは、ハンパないものだった。行く前から、マウント・レモンがゴツゴツした岩山だということは容易に想像できた。しかし、最初に麓の町からその山を見上げたときに驚いたのは、それがまるで針の山のようで、よ~く見ると何千という岩塔が立ち並んでいたからだった。しかし、その針の山は地獄でお目にかかるような暗さや陰湿さはなく、青い空と緑のサボテンがよく似合い、黄色あるいはオレンジ色に近いような岩が美しい、素晴らしい山なのだった。

31週間でみっちりと、トップロープクライミングから、リード、そして3ピッチくらいのマルチピッチまでこなし、クライミングの経験値を幅広く積んでいくという、大ざっぱなアメリカ的な考えのもとで、少しばかり無茶ともいえる内容の実習だった。だけど、このエリアは初心者にとって最高の環境で、岩はいくらでもあり、ルートはどんなグレードでも揃っている。仲間たちと一緒になって岩と戯れながら、広大なエリアで誰に気兼ねするもことなく無我夢中になってクライミングに取り組むことができた。

5砂漠地方のアリゾナにおいて、マウント・レモンくらいの標高はカラッとしてちょうど過ごしやすい気候になる。日中はTシャツ1枚でも暑いくらいだが、日陰に入ると涼しかった。夜は肌寒くなるから、早めに寝てしまうのだが、毎朝目を覚ますと真っ青の空が広がるのである。どんなに疲れていても、今日もいっちょうやったるか!と元気が沸いてくるのは、日本のようにジメジメしていないからだろうか?昼食などで休憩するときは、一日中太陽に照らされて暖かくなった岩の上で寝そべって、サンドイッチを頬張っていた。眺めのすこぶる良い岩の上で、まわりを見渡すとホントに岩だらけなのだった。クライミングができるルートは無限にあるように思えた。俺だったら、多分一生かかっても登りつくせないじゃないか?スゲーなぁ・・・

4たしか、マウント・レモンで登ったルートで一番難しかったのは、5.10bのリードだったと思う。何回もチャレンジした末に完登したのだが、現在の自分自身のオンサイト能力は、上手くいっても5.10bくらいではないだろうか?あれから10年以上経っているのに、クライミングテクニックはまったく伸びていない。逆に、持久力がグンと落ちてしまっているに違いない。あぁ情けないな~

マウント・レモンの麓には、アリゾナ州第2の都市ツーソンがある。メキシコに近いこともあり、ラテン系の雰囲気の町だが、砂漠のオアシスみたいなイメージで、とても良い印象がある。特にりお太郎のお気に入りは、ツーソンのアウトドアショップ“Summit Hut”というお店。 http://www.summithut.com/ 通販で日本にも発送してくれるようだから、円高の今ならお買い得があるかも。

6ツーソンの町をはさんで、マウント・レモンとは反対側に、りお太郎が気になっている山がある。アリゾナ州で最も頂上に立つのが難しいと言われている山だ。実は、次回のI-nacアメリカ研修では、この山の登頂を目指している。かなりマニアックで、クライマー以外にはほとんど知られていない。なぜ登るのが難しいかというと、頂上に達するためにはクライミングの技術が必要になるからだ。今ここで紹介して、広く認知されてほしくないので、名前は“ピークB”としておく。ピークBはネイティブアメリカンの聖なる山でもあり、山の姿、歴史、ルートなど、すべてにおいて濃い内容が揃っている魅力的な山なのだ。とりあえず写真だけ載せておくが、いずれブログで、もう少し詳しく紹介しよう。

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2008年3月 8日 (土)

ボリビアの高峰、“黄金のコンドル”

ブログのデザインを新しくしてみました。もうちょっと山の話をした方が良いのかなぁと思ってます。

やはり海外の山は素晴らしいです。そのスケールは日本とは比べものにならないし、いくら写真などで山々の美しさを知っているつもりでいても、実際に海外で憧れの山と向かい合うと、自分が想像していた以上のことが多くて、とても感動するものです。

ヨーロッパアルプスのマッターホルンやアイガー、南米のアルパマヨやフィッツロイなどは“世界の名峰”として有名だし、よく雑誌とかで紹介されています。りお太郎は頂上までは登ることができなかったとしても、そういった山々を眼前にしてきました。頭の中でいくら思い描いてみても、本物の迫力にはおよびません。登山電車の窓のむこうからいきなり現れたマッターホルンや、数日間のトレッキングの末たどり着いたベースキャンプで、アルパマヨの聳え立つ姿には、度肝をぬかれました。しかし、海外に行くと、自分が知らなかった山にも出会うことができます。名前さえも聞いたことがなかった山に出会い感動するのは、ずっと訪れてみたかった山に出会ったときとは違い、新鮮な驚きがあります。ここでは、りお太郎が南米のボリビアに行ったときのことを紹介しようと思います。

ボリビアの首都ラパスは標高が3,800mくらいもあり、まわりはアンデスの山々に囲まれています。お金持ちの住む新市街は3,600mくらいで、市内で最も標高が低くて温暖な場所にあります。町のはずれに行くと4,000mを越えてしまいますが、そこにも人が住んでいます。郊外をあわせると、ラパスの人口は300万人以上あるようです。りお太郎は1週間くらい滞在しましたが、標高が高いことを忘れてしまうくらい活気があり、ちっとも退屈しない町です。こんな大都市にいて、いわゆる高所順応ができる場所は世界中、他にないでしょう。

ラパスは町全体が大きな谷にあります。中心街は谷底で、そのまわりに住宅などが斜面にへばりつくような感じで建っているのです。とにかく坂が多くて、上り坂を息を切らしながら歩いていると、この町が富士山より高い場所にあることを認識させられるのです。この町に来て、いきなり走りまわったら間違いなく高山病になるでしょう。りお太郎はボリビアの最高峰“サハマ山”に登りたかったので、ラパスで買出しをしたり、情報収集をしながら登山に備えたのでした。

319567_3結局、サハマ山の登山は失敗しちゃいましたが、その後に休養を兼ねてラパスをじっくり観光しました。民族音楽を聴いたり、土産物屋をまわったり、“月の谷”と呼ばれる岩の侵食によってできた観光地を訪れたり、標高5,400mの世界最高地にあるスキー場にも滑りに行きました。そんな中、ラパスの郊外、いわゆる谷の上にある市場に行ったときのことでした。ラパスの町をはさんで谷の向こう側に、あり得ないくらい巨大な山に気づいたのでした。その山の姿は、自分の目を疑いたくなるくらいほどで、まるで空に絵を描いたようにも見えたのでした。

308863_4標高6,439m、イリマニ山。その山はラパスの町外れにあります。というかラパスの町が、イリマニ山の麓からはじまると言った方が良いかもしれません。4つのピークが6,000m以上の稜線でつながっているアンデス山脈のジャイアントです。イリマニというのは、先住民族の言葉で“黄金のコンドル”だということで、本当に巨大な鳥が羽をひろげているように見える山です。スゲーな、この山は!りお太郎はラパスという大都市にいながら、ドでかい山がこんな近くにあることが驚きでした。ラパスに長期滞在し、イリマニを登ってやろうかと一瞬考えましたが、技術的にも難しい山だし、サハマ山で痛いほど6,000m峰の大変さを実感していたので、それは諦めなくてはいけませんでした。

263580晴れた日の夜に、りお太郎はラパスの町を散歩してみました。月は満月のようで、空がとても明るい夜でした。坂を上って、イリマニ山が見える場所まで行きました。ラパスの夜景も見下ろせるところです。そこには、ラパスの灯りと、月光に照らされたイリマニが静かに聳え立っていました。世界には、こんな山があったのか。南米に来て良かったなぁ。りお太郎はひとり旅の寂しさを忘れて、ひとりでニヤニヤしながら、ずっとその美しさにみとれていました。そして、今度ラパスに戻ったときは、あの頂に立つことができたらなぁと切に願ったのでした。

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2007年12月21日 (金)

アウトワードバウンド③ 完結

このプログラムの中で起こった出来事やエピソード、また、りお太郎がそこで考えたことを語りだしたらきりがないので、すぐにクライマックスのところに触れたい。

チームの編成が1回変わり、1週間ほど慣れないメンツと一緒に激しい登山をやった後、また最初のチームに戻った。りお太郎にとって、最初から3週間以上も連れ添った仲間たちのもとは、すこぶる居心地が良く、お互いかなり意識しながら、多少無理して活動にのぞんでいた状態から、安心感にあふれ、かつ自然に振舞うことができる場所に戻れたことが嬉しかった。しかし、アウトワードバウンドのプログラムはいよいよ佳境に入り、ラストには難易度の高いピークの登攀があり、いよいよクライマックスを迎える。

サン・ワン山脈の最深部には、名前さえ無いような山々がある。しかし地形図上には、ちゃんと標高が載っているし、少ないが登山者もいるので、これらの山は分かりやすいように“数字”で呼ばれている。ピーク1(ワン)とかピーク・ツー、ピーク・スリーという感じで、アクセスが悪いこともあってスゴイ秘境なのだ。その無名峰のひとつにチームは挑んだ。今まで登ってきた山よりも、ルートファインディングがシビアで、しかも岩場、雪渓と危険箇所も多い。登頂できる確立は少ないように思えた。しかし、このころになると、仲間と一緒であることに充実感をもっていたし、登頂することより、少しでもチームに貢献することの方をのぞんでいたと思う。

さて、地図とにらめっこしながら全員でルートを選定したはずだったが、困難は出発してからすぐに始まった。比較的斜度が緩やかな場所から登ると、予想以上に雪が深かったのである。冬山のようなラッセルになった。しかし、チームはあ・うんの呼吸のもとで、効率よく先頭を交代しながらすすんだ。わざわざ確認をしなくても、チーム全員が楽に歩けるペースが分かっていた。疲れはじめた仲間に声をかけるまでもなく、少しでも余裕がありそうなメンバーが先頭にまわり、深雪の中にルートをつくった。チームはとても良くまとまっていて、すべての行動が自然のながれの中で行われた。誰も気をつかっていない。誰一人と苦しかったり無理をしていたりはしない。それは、全員がチーム全体の状況を認識しながら、個人の力量ではなく、チームの力量のもとで判断し、行動していたからであろう。口に出さなくても、だれが何を考えていて、何を求めているのかさえ分かった。喉が渇いたなぁと思っていると、うしろの仲間が何も言わずに水筒をザックから取り出し、差し伸べてくれるのだった。

もう、頂上はそれほど遠くない。みんが期待感を持ちはじめた頃、最後の難関が待っていた。垂直に近い岩壁が現れ、クライミングのピッチになった。当然ロープを準備して、だれかがリードしなくてはならない。りお太郎は決して自信があったわけではなかったが、俺がやろう、と言い出した。自分はまだまだ元気だし、苦手のクライミングだってへっちゃらだぜ、ということを最後にアピールしたかったのだろうが、ほとんど虚勢に近かった。仲間たちは、そんなりお太郎をよく理解していたし、それを不快に感じても良いはずなのに、ちゃんと受け止めてくれたのだった。

りお、おまえはさっきのラッセルで一番頑張ってくれたじゃないか。ここは、他の仲間に譲ってくれよ。おまえには安全を確認してもらいながら、ちゃんとビレイをやってもらいたいんだ。

登山の中で、つねに優先すべきことは安全確保である。自信過剰やわがまま、プライドや思い上がりなど、すべてまったく必要としないものだ。優しい仲間の言葉によって、りお太郎は素直に自分の出過ぎた言動を引っ込めることができた。この場面では、事故のリスクを考えてクライミングの得意な仲間がリードした方が良いということになった。そして、りお太郎はしんがりをつとめ、一番最後に頂上にむかうことになる。それは、せっかちで自分勝手なりお太郎には、受け入れられないような役割のはずだったが、長い間ひとりではなくて、チームで行動しているうちに、そんなことが当たり前になり、しかもすごくやりがいがあることに思えてきたのだった。いつのまにか、自分の思い通りにならないことで感じていたストレスは、仲間と行動を共にする喜びに変わっていた。

最後のクライミング・セクションはかなり厳しかった。ザックが重いのに加え、みんなの疲労もピークに達していた。しかも、岩場には足場が少なかったから、登山靴で登るのは微妙で、ビレイヤーにも緊張感がある。もう、完全に仲間に頼らざるをえない。100%仲間を信頼しなくてはならない。そういった中、チームは安全に登攀を行うことができていた。そして、りお太郎以外のメンバーは岩場をぬけ、頂上に到達したようだった。もう、りお太郎が立っていた場所に、だれもいなくなった。みんなザックを担いで登ったので、ギアさえひとつも残っていない。ひとりぼっちになってしまい心細くなった。ただ、りお太郎のハーネスから頂上にむかって、まっすぐロープがのびていて、それが仲間のひとりにつながっていることが、心強かった。

登れ、と仲間から声がかかった。無我夢中で岩場にとりつく。苦戦しながらも、少しずつ仲間に近づいていくと、涙が溢れてきた。もう頂上まではあとわずかだ。けっこうしんどかったけど、がんばったなぁ。もう少し行けば仲間たちが待っている。早く登りたい。もう飛んでいきたいくらいだ。でもクライミングは難しいな。あせるな、慎重に、慎重に、ここで怪我はできんぞ。ビレイヤーが確実に確保してくれていることを実感していた。でも、感謝の気持ちで胸がいっぱいになったのは、ビレイをしている仲間にだけでなく、チーム全員に対してだった。みんなと一緒に山に登れてすっごく楽しかった。ホント最高の気分だ。

登りきったら頂上は目の前だった。拍子抜けするくらいで、クライミングが終わったら、すぐそこは頂上なのである。やった~。着いたぞ!仲間たちはもちろん全員頂上にいて、最後のひとりである自分が見えた途端、歓声が上がった。リオ!グッドジョッブ!!なんと驚いたことに、仲間たちはザックをおろさないで、ずっと待っていてくれたのである。頂上なのだから、くつろぎながら飯でも食べていておかしくないのに、メンバーが全員そろうまで、だれひとり座らないで、今か今かと待ち構えていてくれたのだ。そこでりお太郎は、こらえきれずに号泣してしまった。運よくサングラスはかけていたが、こみ上げてくるものを抑えることはできなかった。涙でボヤけた中、みんなが寄ってきてハグしてくれた。

お互い何日間も風呂に入っていない臭い体どうしで抱き合いながら、仲間の全員を称えあって達成感をかみしめたのだった。これは完璧なフィナーレで、この上ない幸せを登山を通して感じることができた瞬間だった。頂上を踏んだという事実より、何倍も価値があるものをはっきりと体感できていたし、この経験の中で自身の成長も見出していた。

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2007年11月15日 (木)

アウトワードバウンド②

アメリカにおけるアドベンチャー系アウトドアスクールとして、かなり有名なアウトワードバウンドの長期登山プログラムなので、山にのめり込んでいるツワモノ達ばかりが参加してくるものだろうと想像していた。実際のところりお太郎と一緒だった参加者は30名程で、最初から7~8人ずつ3チームに分けられていた。そこで、自分が組み込まれたチームの面々を見渡して、少しばかり拍子抜けだったことを憶えている。

参加者のほとんど大学生くらいだったが、りお太郎のようにアウトドアを専攻、またはそれに近いような学部に所属している学生はいなくて、そればかりか登山の経験が無いような人ばかりだった。チームメートになった人には社会人もしくは無職者(フリーター)もいて、職業はトラックの運転手だったり、農業家だったりして少なくとも山の専門家らしくはなかった。そして、りお太郎を少しばかり不安にさせたのが、この7、8人のチームの中に3人女性がいたのだが、あきらかに体力が無さそうなことだった。

209177 40日間が4セクション(10日間ずつくらい)に区切られ、ずっと最初一緒になったメンバーと共に行動することになっていた。ただし、ひとつのセクションだけはチーム編成が変わり、ここだけ身につけたい技術の希望別にチーム分けがされた。アウトワードバウンドのプログラムでは、技術習得のための講義、講習はあまり無く、テクニックを学ぶというよりは、非日常的な活動の中でリーダーシップやチームワーク、自己啓発といった部分にひたすらフォーカスしながら活動するのである。活動内容をひとことで簡単にまとめてしまうと、ただひたすら仲間と一緒に山を登るだけでしかないのである。

317747 さて、りお太郎は日本人であるにもかかわらず、チームの誰よりもアメリカの山を登っていたし、メキシコで標高5,000m以上の山にも登っていたから、その経験によって一目おかれ、みんなから頼りにされることがあった。しかし、険しい岩場だらけの山域では、登山技術というよりクライミングの技術が発揮されるものだ。クライミングはほとんど経験が無いりお太郎は、ロープを使う登攀や、フリークライミングのテクニックが求められる場面では、逆に経験豊かな仲間に頼らざるしかなかった。だが、体力の面では、りお太郎は強い方だったので、一日の行動がおわり幕営地に着いてから余力が残っていて、テント設営とかを率先して行うことができた。そんな中、アウトワードバウンドの前半で、この余裕があるということによって、ストレスを感じてしまうことになってしまった。

60462 サン・ワン山脈を歩いていると、まわりにはいつも素晴らしい山々が聳え立っている。標高4,000mをこえるピークを登ることができる機会がいくらでもあるのだが、プログラムの中ではチームの仲間と一緒につねに行動しなくてはならない。活動中はいつも仲間と話し合いながら天候やチームの疲労度等考慮し、頂上を目指して登るか、あるいは撤退するがを判断する。りお太郎には少しばかり余裕があったので、いつも頂上を踏みたい気持ちばかり逸って、口から出てくる意見は、チームとしてガツガツ攻めようということばかりたった。しかし、誰かひとりでも行程に不安を感じていたり、体力的にもしんどいというような意見が出れば、チームとしては撤退すると決断を下さなくてはならない。登山では何よりも安全面を優先した上で、行動するのが常識だから、当然ひとりの勝手な希望によってチーム全体の行動が左右されることはない。りお太郎は自由気ままにひとりで登山することに慣れていたので、こういった集団行動が苦痛で仕方なかった。

目の前には、まだ日本人が誰も登っていないような山頂がある。ひとりでパッと登ってしまうこともできるのだ。でも仲間の誰かが疲れている。無理やり一緒に登ろうとすると、少なからずリスクがある。もし、そうだったら頂上には絶対に行けないのである。悔しいけど、話し合った上で決断し、全員が納得しなくてはならない。りお太郎は登りたくて登りたくて仕方がないピークをいくつもあきらめなくてはならず、それがストレスで、プログラムを楽しめてなかった。

でも、40日間の中でりお太郎は劇的に変わっていく。何がきっかけだったのかははっきり分からないが、アウトワードバウンドのプログラムの中に秘められている“マジック”によって、自分の中の何かが変わり、ストレスは消え去るのだった。(つづく)

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2007年11月 5日 (月)

アウトワードバウンド①

アドベンチャー実習の後半にY山を登った。この山は登山規制によって長い間ほっとかれていたところなので、登山道はまるで廃道のようであり、藪に覆われていたりする。実習では、N岳のときと同様に、4チームに分かれて頂上を目指したが、Y山独特の地形と正確でない目印によってルートを誤り、最終的に登頂をあきらめなくてはならない学生がでてしまった。最後尾だったチームは他の3チームが登頂して、自分たちだけ頂上を諦めてしまうことはどうしてもしたくなかったようで、元気なメンバーだけで最後追い込み頂上を踏んだ。しかし、メンバー全員で登頂することが叶わなかったことで満足感はなく、逆に残念な気持ちばかりが残ったようだった。

ここで、りお太郎が思ったことは、スムーズに頂上まで登れちゃうより、最後のチームのような経験ができた方が何倍も価値があるということだ。仲間と一緒の登山では、楽しくて心地良いことばかりではない。登山の中で仲間の気持ちになって考えたり、自分自身の感情と向かい合ったりすることは、とても意義がある。りお太郎自身が、ずっとひとりで登山をやっていたこともあって、このような仲間と一緒だった場面のことは鮮明に、また大きな意義のある経験として、思い出深いものになっている。

204814コロラド・アウトワードバウンド・スクールで、40日間のプログラムを受講したときのことを紹介する。大学の単位として認可され、長期にわたってたくさんの山に登ることができることが、とにかく魅力的だったので、そのプログラムのねらいが何であるかとか、何が試されるのかとか、全く何も考えずに参加したのである。当時りお太郎は、コロラドの主たる山すべてを登ろうとしていたが、アクセスが極端に悪く、ひとつのピークを登るのに1週間以上を費やさなければならないというコロラドの秘境、サン・ワン山脈だけにはあまり踏み込めずにいた。アウトワードバウンドでは、そのサン・ワンに40日間入ったきり、一度も山から下りずに山を登りまくるという内容だったから、詳細はともかく、りお太郎は燃えていた。実際にその中で、登りたかった山をたくさん登ることができた。しかし、この40日間では、頂上をいくつ登ったということなど“どうでもよい”と思えるほど素晴らしい経験ができたし、毎日のように新しい発見があったのである。60198 (つづく)

サン・ワン山脈のウインダム・ピーク、サンライト・ピーク

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2007年7月27日 (金)

秘湯マニアは山登る

Dscn7762 山岳プロ学科の学生のひとりが八ヶ岳でインターンシップをしているので、早速視察してきました。その学生に会いに夏沢峠にあるヒュッテ夏沢まで登りましたが、途中に学校登山で来ている中学生たちとすれ違いました。昨日は3つの学校、総勢100名を越える中学生と出くわしたので、あいさつするのも疲れてしまうくらい「こんにちは~」を連発することになりました。ちなみに、I-nacのインターン生はガイドのアシスタントという立場で、そういった中学生たちを引き連れて登山をすることになります。

さて、この夏沢峠の近くには、りお太郎のお気に入りスポットがあります。峠の東側を下りていくと“本沢温泉”があり、ここには“日本最高所の露天風呂”があるのです。硫黄岳中腹の標高2,150mのところにあるワイルドなお風呂で、当然ここまで車で入ることは不可能で、登山をしなくてはたどり着くことはできません。北アルプスの白馬鑓温泉(標高2,100m)と並び、アクセスが困難な高所温泉として、りお太郎を含め、多くの登山者たちを魅了しています。

498205540_0209d02834 海外には、なかなか日本ほど多くの温泉に恵まれている国はありません。それでも、りお太郎はアクセスが悪い秘湯を探して、苦労して訪れたことがあります。その中で、特に良かった温泉のひとつが南米ボリビアの最高峰“サハマ山”の麓にある温泉です。サハマ山は標高は6,542mの高山で、温泉(お風呂というより、池のようなかんじ)は標高4,000mの大自然の中にあるのです。ここまでは首都のラパスからオンボロバスで約6時間、そこから徒歩で3~4時間の行程でやっとたどり着けます。広大な大地がひろがるアンデス山脈にあり、周辺は5,000mを越える山が立ち並ぶだけでなく、リャマが放牧されていたり、フラミンゴが飛んでいたりして、お風呂(池)に浸かりながら見ることができる景色は雄大なものです。

16239_1 りお太郎はサハマ山を登るつもりで、ここを訪れましたが高山病がつらくて登頂を断念し、温泉の周辺でキャンプ&トレッキングを楽しみました。今度行く時は、サハマ山の頂上まで絶対に登りたいと思っています。日本からの登山者はまったくいないような山ですが、最近のニュースでボリビアの大統領がサハマ山を訪れている様子が出ていました。国全体が標高の高いところにあるボリビアで、サッカーの国際試合が開催できなくなってしまうという新制度に反発し、自ら高所でサッカーをやってアピールして、ラパスのような標高の高い場所で試合をしても大丈夫だという理解を求めたようです。

りお太郎の経験から言うと、富士山よりも高いような場所で激しい運動をすることは相当つらいものがあると思います。高山病にもなっちゃうし、ゆっくり歩いて登山していても、フラフラになってしまうのです。ちなみに、サッカー熱がすごい南米の人たちによって、世界で最も標高が高いところで開催された試合という記録が、サハマ山の頂上で作られているそうです。いろんな意味でスゴイな~と思います。

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2007年1月16日 (火)

ヨーロッパ・アルプス “ドム”

Dscn0068りお太郎にとって、アルプスの少女ハイジは、永遠の“癒し系”のアイドルだ。大自然の中で、はつらつと走り回っている姿にはとても和まされるし、そこには何にも勝る美しさがあるように思える。この間、BSの再放送でやっていて、懐かしくてTVに食いついて見ていたら、奥さんに呆れられた。多分、りお太郎は子供の頃からスイスの景色に憧れを抱いていたのだろうし、ハイジやおじいさんが暮らしているような場所のバックに聳えているようなアルプスの高峰に登りたいと思っていたに違いない。

96949マッターホルンのふもとにあるスイスのツェルマットはすばらしい町だと思う。まわりは4,000mを超えるアルプスを代表する山々に囲まれ、氷河や湖の景観には飽きることがない。しかし、ツェルマットやグリンデルワルト、フランスのシャモニーなど、登山のベースになるような場所は、有名な観光地でもあり、どこか垢抜けた都会的な一面も持っているので、騒がしいところでもあるのだ。だからハイジが住んでいそうなのびのびとしていて、落ち着いた田舎的な雰囲気を味わうことは難しい。

Dscn0128ツェルマットから電車で何駅か北に行くと、ランダという村がある。りお太郎は“ドム”という山(意味は大聖堂)に登るためにそこを訪れた。実はただ登山のためにたまたま通っただけなのだけど、その田舎町に来てはじめて、まるでハイジが走ってきそうな景色と出会うことができた。お金持ちが建てたような洒落たログハウスではない、山の景色とマッチした、古びたホンモノのログハウスが立ち並び、畦道には花が咲いていた。(何の花だか忘れたことが残念!)お土産屋さんのようなものなど無いから、そこで暮らしている人たちの人家と自然がとても近いような感じがした。

67756ドムという山はイタリアやフランスとの国境にあるのではなく、完全にスイスの国内にあり、ホントの意味でスイスで最も高い山(ドムより高いマッターホルンやモンテローザはスイスとイタリアの国境にあるので、スイスだけの山とは言い難い)だということが、りお太郎の登攀意欲を掻き立てた。実際登山口から山頂までの高低差が大きいので、登るのがけっこう大変な山でもある。ドム以外の有名な山々は登山列車やロープーウェイで標高を稼げるようになっている。そのドムを無事登頂し、くたくたに消耗して下山してきた時は、ランダのスイスらしい景色によって癒され、登山の達成感と疲労感が染みわたってきた。

もし、ハイジが本当に出てきたら、一緒にヨーデルを歌いながら、アホみたくスキップしていたに違いない。

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2006年11月21日 (火)

今日りお太郎が考えたこと

下の写真の山々には、りお太郎は特別な思いがある。85142

りお太郎は10代後半から20代前半にかけて、その青春の日々をほとんど登山ばかりやって過ごした。お酒を飲んだり、女の子たちと楽しく遊んだりすることには興味を示さずに、山登りだけに情熱を燃やしていたのである。そして気がつくと、かなりマニアックな人間になっており、授業以外では全然学校で見かけられないので大学の先生から心配されたりもした。りお太郎は当時、その写真にあるような険しい山の頂を踏むことだけに集中し、毎日地図や山のガイドブックばかり眺めてばかりいたのだった。

写真はコロラド州、サンワン山脈で、左がベストル・ピーク、右がアロー・ピーク、そしてちょっと離れて、後ろの方に見える山(ベストルとアローの間)がピジョン・ピークである。りお太郎が登ったコロラドの4,000m峰の中でも難易度が高く、アクセスも悪くて、とにかく登頂するのがたいへんだった山々だ。だから尚更、強い思い入れがあるのだが、りお太郎にしてみれば“理想の山”というものを思い浮かべる時、まさにこれらの山のことを思い出すのである。

通常、ピジョンピークを登頂するのには6日間から、7日間はかかる。ベストル・ピークとアロー・ピークは隣どうしなので一回の山行で両方登りたいとだれもが思うはずだが、もしそうするならば、山に最低でも6日間、天候の悪い日を考慮すれば10日間近く入る覚悟でいなければならない。日本には1週間かけなくては登れないような頂上はほとんど無いと思う。比較的アクセスの悪い南アルプス南部、北アルプスの黒部流域にあるピークだって、たったひとつのピークを踏むのに10日かけなくてはならないようなところはないはずだ。

コロラドの険しい山にはだいたいクライミングのルートが開拓されていて、この3つのピークにも難易度の高いアルパインルートがある。しかし山の弱点をついたロープを必要としないルートで、単独登攀も十分可能であり、りお太郎はソロで、1週間程かけてこれらの山々に挑んだのだった。コロラドに住んでいる人でさえ名前も聞いたことのないようなベストル、アロー、ピジョンピークには登山者は少なく、りお太郎は他のパーティがいない、本当の意味で単独登山ができた。その時りお太郎は1週間以上、人と会うことなくひとり夢中になって登山に打ち込んでいたのだ。それが寂しい思い出ではなく、楽しい思い出になっていることが不思議でならない。

今日、りお太郎はふとコロラドの山のことを思い出しながら、あの頃の情熱はどこにいってしまったのかと、悲しい気持ちになった。前は1ヶ月の半分をテント泊しながら山の中で過ごしていたのに、最近はめっきり山らしい山に行っていない。山に登りたい!という強い思いはどこかに目標とする山がなくては持てないものだ。だから来年にでも、どこか海外の山に行く計画をきちんと立て、また熱い気持ちを燃やし始めたい。

60677 ベストル・ピーク&アロー・ピーク

60205 ベストル・ピーク(左面手前のリッジがルート)

60203 ピジョン・ピーク

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